2020年8月16日 05:00 | 有料記事
1945年3月、15歳だった武井敏雄さん(90)は東京大空襲の翌朝、遺体がそのままに横たわる下町を歩いた。翌月、陸軍の特別幹部候補生になり、航空機の操縦士に志願したが「特攻で死にたくない」と後悔した。訓練生で終戦を迎え、生き延びた武井さんを母は抱き締めてくれた。武井さんは「若者が、自分のために生きられる世の中が続いてほしい」と願う。
45年3月9日午後10時ごろ、市川市の自宅にいると、警戒警報なしに突然、空襲警報が鳴り響いた。遠くの空には爆撃機。急いで庭の防空壕(ごう)に逃げ込んだ。警報が解除 ・・・
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