本の贈り物

■プロフィール
藤原あずみ イラストレーター。1958年長野県安曇野市生まれ。佐倉市在住。主な作品は「野あそびいっぱい 植物編」(萌文社、中山康夫著)、「お話とあそぼう」(一声社、末吉正子著)など。「第18回小さな童話大賞 山本容子賞」、「第9回ミツバチ絵本コンクール佳作」、「第48回千葉文学賞」など受賞。


「玉を磨く」 『無私の日本人』

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 『武士の家計簿』の著者としても有名な磯田道史さん。難解な古文書を読み解き、文字に潜む人情の機微や精神の有り様を掬い取って人間ドラマを再現してくれる。磯田さんの『無私の日本人』を読んで、気持ちを励まされた。

 本に取り上げられているのは、穀田屋十三郎(一七二〇-一七七七年)、中根東里(一六九四-一七六五年)、大田垣連月(一七九一-一八七五年)。三人とも、無私の心で生きた人々だ。人の苦しみを我が事のように憂え、赤貧を恐れず、不屈の精神で己の目指す道を全うした。

 穀田屋十三郎は、仙台藩、吉岡宿の生まれ。衰退する宿場を憂え、九人の同志と共に、身代が潰れるのを承知で出資し、武士に金を貸して利子を取る事業を起こした。無謀な計画だったが、家財を売り、妻子も売りに出す覚悟で、資金繰りをする。嘆願書は役人の手でたらいまわしにされるが、最後は捨身の覚悟が実を結び、宿場は救われた。穀田屋は遺言を残した。「わしのしたことを人前で語ってはならぬ。わが家が善行を施したなどとゆめゆめ思うな。何事も驕らず、高ぶらず、地道に暮らせ」。磯田さんが取材で訪れた時、吉岡の人々は口々に先人の偉大さを語ったが、穀田屋の子孫の方々は、多くを語らなかったそうだ。「先祖が偉いことをしたなどと言うてはならぬと言われてきたものですから」と。伝えられ守られてきた「謙虚の家訓」に、またもや胸が熱くなった。

 中根東里は、稀有絶無の天才と言われながらも、村儒者として生き、村儒者として死んだ。乞われても仕官せず、極貧生活を送り、寝食を忘れて書に親しんだ。大事な書物をも、病いに苦しむ見ず知らずの男の薬代にと売り払ってしまう東里。「学問は道に近づく為のもので、書物を蓄えるものではない」と。

 「心の中に美しい玉がある。玉は大小あって、聖人は大きいが、小さい玉でも磨けば美しく光る。この玉を磨くことが、人の生きるつとめではないか」と彼は説いた。分かり易く徳の高い東里の講義を聞く為に、村の泥月庵には人が溢れた。

 大田垣蓮月は美貌の才女だったが、夫や子を次々亡くし、出家する。歌を詠み焼き物を作って暮らした。困った人がいると何でもくれてやった。私財を投じて、橋を作ったりもした。西郷隆盛に「あだ味方勝つも負くるも哀れなり同じ御国の人と思へば」と書いた短冊を送り、江戸城総攻撃を回避させた功労者でもある。

 「この国のありようを見るにつけ、千の理屈より先人の生きざまを辿った方がいい……自他を峻別し、他人と競争する社会経済のあり方は、大陸や半島の人々には合っているかもしれないが、日本にはそれとは別の深い哲学があり、その哲学が無名の普通の江戸人に宿っていた。......

 【メモ】「無私の日本人」磯田道史・文藝春秋

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