転機と新たな出発を告げる 大島史洋歌集 「センサーの影」

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 夜ともなれば、近くの田んぼから聞こえてくる無数のカエルの大合唱が耳をろうさんばかり。この斉唱は交尾期の雄の雌への求愛行動で昔の人は「蛙合戦」と呼んだ。本能に従い歌うカエルと違い、困難な時代を生きる現代人は何をどのようにどんな声調で歌うことができるのだろうか。

 万葉の時代から、古今、新古今、近世和歌、さらに近代の子規や茂吉らによって詠み継がれてきた短歌が今どうなっているのか、消息の一端にでも触れたいと思い、日報歌壇選者というより歌誌「未来」の編集委員・選者を務め、現代日本歌壇を代表する歌人の一人、大島史洋さんの第十歌集『センサーの影』を読んでみた。

 二〇〇二年から〇四年までに詠まれた作品から自選した約四百五十首が収められ、「会社勤めの最後の時期であり、終わりのほうの歌には定年を迎える準備としてのセミナーをうたった歌も見られる」という大島さんの転機と新たな出発をうかがわせる歌集だ。

 瑣末とは心の余剰を廃してのち目に見えてくる景と思わむ/センサーに明かり点れば言いようのなき虚しさに影は伸びおり

 生病老死、大島さんの身辺に起こった出来事や出会った人々、光景などに触発されて、思いのたけを率直に簡潔な語法とリズムで描き取った作品が大多数だ。

 屋上のベンチに在れば底深き臓腑のごとし街の響みは/花の名を思い出せない母と立つ生ごみ捨てし穴のかたえに/基礎打ちを終えて平たき土の下いずこに向かう幾千の根は

 ささやかな日常座辺の見捨てて置かれないことどもを凝視し、生きるつらさや苦しみ、時には喜びをあるがまま受け入れ、上の句と下の句が断絶しながら協調しあい、情念や心意を具象化している。

 この国の未来も遂に人ごとと思えてならぬすたれはてたる/今にしてありありと見ゆ山深き戦後の橋の瓦礫なす洞

 心の鏡に映り込んだ時代相を詠じた作は戦後を生きた疲労感や哀歓が異様な気息、激した歌いぶりとなって現れる。(ながらみ書房・二八三五円)