詩友求め、詩集刊行 八木重吉9

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 重吉詩集『秋の瞳』(大正14年8月1日刊)出版の経緯について、重吉の親戚で、神奈川県川尻尋常小学校高等科の恩師であった加藤武雄は次のように述べている。当時、加藤は新潮社に勤めており、詩集出版に際して、重吉から詩の原稿を託された人物。

 …小学校を卒業すると、君は、師範学校に入り、高等師範学校に入つた。私がその後、君に会つたのは、高等師範の学生時代だつた。その時、私は、人生とは何ぞやといふ問題をひどくつきつめて考へてゐるやうな君を見た。彼もまた、この悩み無くしては生きあたはぬ人であつたか?さう思つて私は嘆息した。が、その時は私はまだ、君の志向が文学にあらうとは思はなかつた。

 君が、その任地なる摂津の御影から、一束の詩稿を送つて来たのは去年の春だつた。君が詩をつくつたと聞くさへ意外だつた。しかも、その詩が、立派に一つの境地を持つてゐるのを見ると、私は驚き且つ喜ばずにはゐられなかつた…(『秋の瞳』「巻首に」)

 『秋の瞳』が新潮社から出版されるのは加藤が新潮社に勤めていた事情による。現在、東葛飾高校脇に『原っぱ』の詩碑が建立されているが、詩「原っぱ」は重吉が東葛飾中学(現・東葛飾高校)に奉職していた大正14年『文章倶楽部』9月号に掲載されたもので、『文章倶楽部』の主幹であった加藤の尽力によっている。加藤が重吉の詩のよき理解者であったことが、大きな力となった。

 詩集『秋の瞳』の「序」は、重吉の次のような淋しい言葉から始まっている。

 私は、友が無くては、耐へられぬのです。しかし、私には、ありません。この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください。

 重吉のこの「序」は多くの詩集の「序」のなかでも、もっとも有名な一文。そらんじている読者も多いことだろう。『秋の瞳』はこの衝撃的な「序」とともに世に出たのである。・・・