東葛飾中学校に赴任 八木重吉(1)

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 清冽(れつ)な詩情で知られる詩人・八木重吉(1898~1927年)が、東葛飾郡千代田村にある千葉県立東葛飾中学校(現・柏市・千葉県立東葛飾高等学校)の英語教師として赴任したのは、大正14年4月のこと。満27歳だった。

 東葛飾高等学校には、赴任当時の八木重吉の履歴書が保管されている。

 東京高等師範学校文科第三部英語科を卒業し、大正10年兵庫県御影師範学校教諭に任ぜられた重吉は、当時行われていた陸軍6週間現役制度により歩兵第39聯隊に入営を経験、約4年間の教師生活を御影で過ごしている。

 大正14年3月31日に千葉県女子師範学校訓導に任ぜられて日俸壱円を給与され、同日千葉県立東葛飾中学校教師の嘱託(「月手当百二十五円給与」)となっている。さらに大正15年2月15日に「千葉県立東葛飾中学校教師に任ず。三級俸但当分月俸百貮拾五円」と書かれている。

 明治31(1898)年2月9日、東京府南多摩郡堺村(現・町田市)相原大戸の豊かな農家に生まれた重吉は、鎌倉師範学校を経て、東京高等師範学校に入学している。

 英語力抜群だった重吉は高師の2年生ごろから聖書を耽読(たんどく)し、キリスト教布教に大きな影響を与えていた内村鑑三の著作に感化され、一時高師に近い小石川福音教会(現在の小石川白山教会)に通うなど、熱心なキリスト教信者となった。聖書の原典であるギリシャ語聖書の独習を始め、友人たちを驚かせたという。独習はその後も続けられた。又、この頃絵画(油絵)製作にも興味をもっている。

 そんな重吉がスペイン風邪にかかり、肺炎を併発して重態に陥り入院するのは大正8年秋。3カ月間の入院生活を送り自宅で療養し高師に復学。胸部疾患の理由で寮にもどることは許されず、池袋の豊島師範学校前の素人下宿に移っている。のち夫人となる島田とみ子と、その池袋の下宿で出会っている。

 とみ子は滝野川の女子聖学院高女三年の編入試験受験のため、郷里の新潟県高田から上京し、重吉の下宿に近い姉の家に身をよせていた。友人・石井義純から、試験直前の彼女の勉強をみてくれるよう頼まれた重吉は、快く引き受け、1週間ばかり英語と数学を教えた。とみ子は見事試験に合格する。

 同年4月御影(みかげ)師範学校に赴任した重吉は、大正11年にとみ子と結婚。翌年5月には長女桃子が誕生し、柏にやってくる数カ月前には長男陽二も誕生している。重吉が東葛飾中学校に赴任した時期は、家庭生活も順風満帆で幸せな時代だった。