2023年8月23日 05:00 | 有料記事

大屋旅館に入ってすぐ目に入る帳場。明治期の雰囲気を伝える=大多喜町新丁

大正末~昭和初期ごろの大屋旅館。出入り口付近に乗合自動車発着所の看板が掲げられ、右手奥には大屋旅館自動車部の看板と小型車が見える(大屋旅館提供)

明治期の面影を残す現在の大屋旅館
大多喜町新丁(しんまち)に鎮座する歴代大多喜城主が崇拝した夷隅神社。鳥居のすぐ横に立つ大屋旅館の2階戸袋には「大屋」と大きくしっくいで施され、明治期の面影を残す。
新丁地区は南東側の銭神地区の人々が夷隅川を越えて移り住み、江戸時代初めごろに形成されたとされる。大屋旅館は元禄期には旅籠を営んでいたとも言われ、通りに面した木造2階建ては1885(明治18)年ごろ改築。1999(平成11)年に国登録有形文化財に指定された。
1891(明治24)年に大多喜を訪れた歌人・正岡子規が一夜の宿にしたとの説があるが、定かでない。漫画家・つげ義春は実際に宿泊し、帳場のたたずまいを作品に描いている。
通りから一段下がった出入り口。引き戸を開けると、明治期そのままのような空間が宿泊客を出迎える。石が敷かれた土間に年季の入ったげた箱、使われなくなった電話 ・・・
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