千葉商科大学は、実社会に資する「実学」を礎に、高い倫理観と大局的視座を備えた「治道家」の育成を建学の理念としてきた。本企画では、その理念を胸に刻み、実業の現場において社会と真摯に向き合ってきた卒業生の軌跡を紹介する。学びはいかに仕事と結びつき、一人一人の道を拓いてきたのか。1975(昭50)年に同大学を卒業し、地元の総合建設業、畔蒜工務店に入社。誠実な経営を貫き続けた、畔蒜毅会長に話を伺った。
自身の半生を語る畔蒜毅会長
千葉県匝瑳郡平和村(現・匝瑳市)に生まれ、 通学列車で出会った妻の生家が営む会社の先代社長に見込まれて、 建設の世界に飛び込んだ。 業界の慣習にとらわれず、地域や従業員、職人たちへの心配りを怠らず、まちづくりに貢献してきた畔蒜毅会長(75)が、談合が当たり前の時代に正々堂々とした事業展開にこだわり抜いた、その心意気に迫る。
通学列車で妻と出会う
千葉県匝瑳郡平和村で農家の家庭に生まれた。父は戦時中には満州・フランス租界の日本語学校、戦後は地元の高校や旭農学校で教壇に立った。「子ども5人を進学させ、自分の子どもも生徒も平等に扱い、雨の日に自分はぬれても生徒に傘を貸して帰る。権力者に負けない気概があり、自分に厳しく、つつましい人だった」と回想する。
母方の親戚に経営者が多かったことから「学費も割安で、母の農業を手伝えるよう自宅から通える大学の経営学科を選んだ」。通学列車には、同じ地域から商大や和洋女子大へ通う学生も多く、そこで妻と出会った。卒業前に結婚が決まるが、妻は名家・畔蒜家の長女。婿入りにためらいもあったが、義父となる先代社長・義衛氏に見込まれ、こんこんと説得されて1975(昭50)年、卒業と同時に結婚し、畔蒜工務店の社員となった。
先代・畔蒜義衛氏の肖像写真前で「婿だからと特別扱いせず、厳しく育ててくれた」と振り返る畔蒜会長
2人の父の気概を継ぐ
畔蒜さんは実父と義父、双方から大きな影響を受けた。何も知らずに入ってきた跡取り、と周囲に厳しく当たられたこともあったが、知識がない分、全てを素直に吸収し、率先して他の現場の応援や残業を引き受けて仕事を覚えていく。「同僚や先輩、後輩とは競争。人には負けたくない一心だった」。当時の建設業界は談合の真っ盛り。信念を持ち、正々堂々と仕事を取れという先代の教えを守り、同業者からは異端視されたが、心ある業界関係者はしっかりと認め、評価してくれていた。やがて35歳で社長に就任。先代は「当面は社長の給料は自分が管理する」と宣言。社長にお金を持たせた方が節税になるのでは?という会社の顧問たちに「税金は世の中に役立つ。節税のために社長に給料を払うなら、国のためになった方がいい」。従来の同業社長とは全く違う人柄が伺える。
脱・談合宣言を貫く!
2002(平14)年、先代が亡くなると、スーパーゼネコンに習い「脱・談合」を宣言する。地元政界や建設業界へ「もう俺を止める人はいない。今後は自分の考えでやる」と言い放った。そのために仕事を取れなくても、社員の給料は下げられない。まず従業員となっている自分の家族の給料を下げた。現場監督も職人たちも、みんなが知恵を出してくれた。幸い、重機やクレーン車をほぼ自社で所有し、その減価償却費で持ちこたえた。さらに「社員は自分の手足。その手足には最先端のものを使わせる」という先代の方針を踏襲し、新品の大型重機を惜しげなく導入。それで社員の仕事ぶりも変わり、成果が施工にも現れた。
「ハッタリで『いくら安くやっても、どうしても金が残っちゃうんだよね。だから俺と競争する時はその覚悟で来いよ』なんて言いながら、やってきたんだ。まさに戦闘態勢で乗り切り、勝ち残ってきた」。その声に、静かな情熱の炎が揺れていた。
中米ベリーズと2020東京五輪の事前キャンプ地の基本合意を結んだ、畔蒜毅日本ベリーズ友好協会理事(左)、稲葉安勇在東京ベリーズ名誉総領事(中央)、佐藤晴彦横芝光町長=2018年1月、横芝光町役場
誰にも平等に接したい
同社は海岸清掃などのボランティア活動や2020東京五輪でのベリーズキャンプ誘致など、さまざまな地域貢献に取り組んできた。「地域のために」を大前提に頑張ってきたのは、自身が人から助けられてきたからだ。今も社員や協力業者の職人たちとの結びつきは強く、「会社は人を育てなければならない。先代からの教えを浸透させ、早いうちに大きな仕事に携わらせ、経験をさせて、自信をつけさせること」を実践している。
6年前に体調を崩してから事業承継に取り組み、2021(令3)年、自身は会長に、息子が社長に就任した。半世紀あまりの仕事人生を振り返り、「やっぱり人を大事にすること。どんな人でも生まれてきた時は裸。亡くなるまでの間、どんな人ともしっかりと付き合うこと。何も気取る必要はない、私は誰に対しても平等に接したい」と強調する。
地元の木戸浜海岸の清掃を行う社員ら
全ては実際の体験から
大学で必須だった簿記や、ゼミで学んだ人間学は、卒業後にさまざまな場面で役立った。「経営者は、自分だけでは何もできないと気づけば、吸収、習得するものが多い。自分は何でもできるという姿勢では、人がついてこない」。現代の若者たちへは、「自分の思いと実際の体験とでは、全く違うこともある。全ては体験してみること。失敗することで、その先が見えてくる」と熱いメッセージを送った。
現在、津波・震災対策として、九十九里町の片貝海岸から旭市の飯岡海岸まで波乗り道路を延伸する一大構想に携わる。「横芝光町には高速道路のインターチェンジもあり、県東地域の中核都市になる要素がある。来年開催される全国豊かな海づくり大会で、天皇陛下に旭地域を見ていただくのが人々の念願」と、地域とともに歩む未来を展望した。
なれそめは大学時代の通学列車。50年以上連れ添う妻の由美子さん(右)と畔蒜会長=2023年2月に行った2022年秋の旭日小綬章受章祝賀会
畔蒜 毅
1975(昭50)年3月卒業
あびる たけし 1951(昭26)年6月、千葉県匝瑳郡平和村(現・匝瑳市)に生まれる。1975(昭50)年、千葉商科大学卒業、畔蒜工務店入社。1986(昭61)年、同社代表取締役社長に就任。2016(平28)年~2021(令3)年、一般社団法人千葉県建設業協会の会長を務め、全国建設業協会や関東甲信越地方建設業協会長会の事業活動にも取り組む。2021(令3)年、同社取締役会長に就任。2022(令4)年、旭日小綬章受章。
株式会社 畔蒜工務店
●創 業 1962(昭37)年
●事業内容 総合建設業
●業所 山武郡横芝光町木戸10110番地