“最強未経験者”の下克上 柔道・千葉経大付高・皆川大記(18) 【Chiba Sportsファイター】(116)

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29日開幕の福井国体にも出場する千葉経大付高の皆川大記。「大学でも柔道を続け、日の丸を背負う」ことが将来の目標となった=千葉市稲毛区
29日開幕の福井国体にも出場する千葉経大付高の皆川大記。「大学でも柔道を続け、日の丸を背負う」ことが将来の目標となった=千葉市稲毛区

 全国大会となれば、出場選手は幼少期からその競技を続けてきた者が大半だ。その常識や下馬評を覆し、柔道のインターハイで100キロ級王者に輝いた男がいる。中学まではサッカー少年。異色の経歴の持ち主が、高校最後の夏に全国へ名をとどろかせた。

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 小学校で打ち込んだのは相撲とサッカー。兄に連れられ土俵に上がり、わんぱく相撲の全国大会で8強入りを果たす腕前となった。「今でもそうだがスポーツが好き」とサッカーではフォワードとキーパーを任された。土日で活動が重なったが、大会のある方を優先し両立させた。

 柔道との出会いは中学入学後。辰巳台中の柔道部が例年相撲大会に出ていることを知り、「相撲を続けるために」入部した。週末はサッカーのクラブチーム「エクサス市原」で活動し“三刀流”の道を歩んだ。柔道は3年夏が最高成績で、県大会8強止まり。少し心残りはあったが、高校ではサッカー部に入ると決めていた。

 ところが、柔道の練習会に参加した際に千葉経大付高の田中良明監督の目に止まった。171センチと背は小さいがパワーがある。サッカーと相撲仕込みの足腰の強さに、光るものがあった。「うちで柔道をやれば全国に行けるぞ」。監督の言葉が、運命を変えた。

 体重を20キロ近く増やし、高校から本格的に競技を始めた。1年時の新人戦で100キロ級を制したが、これが重圧に。他階級代表決定戦で敗れ春の全国切符を逃すと、大会では苦戦が続く。全国とは無縁で3年生になった。

 敗れ続けても涙は流さなかった。「負けには原因がある。次につなげる」と試合の動画を繰り返し視聴。冷静に分析し弱点を一つずつ克服した。自分より長身選手がそろう階級でもある。145キロのバーベルを持ち上げ怪力を強化。部活後に地元市原の道場にも頻繁に通い、大人の選手と練習も重ねた。5月の関東大会県予選は初戦負け。ただ、「正直、今までどのスポーツでも中途半端な成績だった。このまま終わるわけにはいかなかった」。

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 自身初となる全国切符を最後の夏につかむと、無名だった男の下克上が始まる。準々決勝は圧倒的優勝候補と呼ばれた福岡の選手と激突。「掛けてくる技や待ち方までずっと研究した。勝つ自信だけはあった」

 柔道経験が浅かったからこそ習得した左右の組み手で翻弄(ほんろう)。「相撲で学んだ」低くぶれない姿勢は、最大の武器となった。隙を逃さずポイントを奪うと、相手の表情が焦り出す。「いける」。仕掛けてきた相手の動きを利用し、畳にねじ伏せ一本勝ち。場内の空気が一瞬で変わるのを肌で感じた。誰もの視線が「ダークホース」に集まり、今まで一切出さなかったガッツポーズを、観客席に掲げた。

 準決勝で他大会で敗れた相手にリベンジを果たすと、決勝も勢いと集中力を持続。千葉経大付柔道部としても、全種目通じ初の優勝となった。表彰式で周囲は小学生から柔道の世界で有名だった選手ばかり。「仲間に『おめでとう』と呼ばれるまで実感がなかった」。教え子が待望の優勝旗を受け取るのを見届けた監督は「指導の吸収力など柔道偏差値が高かった。高校から本格的に始めた者が全国優勝は聞いたことがない」と目を細める。

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 あの時、監督に声を掛けられてなければ「普通」の高校生で終わっていたかもしれない。「サッカーか相撲では全国優勝はできなかったと思う」と皆川。しかし即座に表情を緩め口にした。「足技のフットワークや連戦で必要な持久力は柔道以外で鍛えた。サッカーと相撲をやっていたから柔道で全国優勝ができた」。重ねてきた経験は、柔の道へとつながっていた。

(小川洋平)

◇みながわ・だいき 2000年9月2日生まれ。市原市出身。若宮小-辰巳台中-千葉経大付高3年。8月の全国高校総体(インターハイ)柔道男子個人100キロ級で優勝した。小学2年ごろからサッカーや相撲に打ち込み、「相撲の大会に出場するため」中学で柔道部に所属。本格的に柔道を始めたのは高校から。得意技は大腰。大好物は焼き肉。171センチ、B型。