「時計の針、戻したい」 千葉市の西堀さん、息子の友が支え 軽井沢バス事故1年

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 触れた体にはまだぬくもりがあるのに、何度呼んでも目を覚まさない。長野県軽井沢町のスキーバス事故から日で1年。犠牲になった西堀響さん=当時(19)、千葉市美浜区、東京外語大1年=の父(57)は、遺体安置所で対面した場面を昨日のように思い出す。「戻せるなら時計の針を戻したい」。深い悲しみと絶望の中で過ごす日々。息子の友人たちとの交流が支えだった。

 昨年1月15日朝、単身赴任先の大阪で、事故を知らせるニュースに胸騒ぎを覚えた。「降りていくエレベーターの窓から今日はなぜか響の顔が見えなかった」。前夜、ツアーに行く次男を千葉市のマンションの自宅玄関で見送った妻から不安げなメールがきていた。

 心配した通り、事故に巻き込まれたと分かる。「腕がなくても、下半身が動かなくてもいい。生きていてくれ」。軽井沢への新幹線は時間が何倍にも感じられた。

 幼い時は人見知りだった。卓球を始めた中学の頃から物おじしなくなり、高校時代はスケジュール表をびっしり埋めて何でも頑張った。大学ではスペイン語を専攻、外交官を夢見た。アメリカンフットボール部の練習にも打ち込み、ツアー出発前「鍛えているから簡単には骨折なんかしないよ」と笑っていた。

 夕方、安置所となった体育館でひつぎに納められた息子は寝ているようで、死の現実感がなかった。葬儀の日、火葬後の変わり果てた姿に喪失感が押し寄せ、泣き崩れた。「子供が先に亡くなる。こんな残酷なことはない」

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 昨年3月。アメフット部と企画した「思い出を語る会」で、「未来を語れない分、響の19年5カ月の生涯を思い出で埋めていきたい」とあいさつした。会場の東京外語大に集まったのは約300人。先輩が「誰よりもかわいがられた後輩」と懐かしめば、高校の同級生が「勉強でも部活でも最高のライバルだった」と語る。息子はみんなの心に生きていることが、大きな力となった。

 1年間、アメフット部の試合にも妻とできるだけ足を運んだ。選手らは遺影を掲げ、8月5日生まれの息子が選んだ背番号85をヘルメットに付けてくれた。応援を続けるうち、保護者にも励ましてもらうように。「響を思う人たちが心に寄り添ってくれた。今は私たちも仲間になれたのかな」

 生きていたら20歳。成人式の準備をする周囲を見て寂しかった。遺族会に入って再発防止を訴えながら、「生き返るわけじゃない」とむなしさを覚えることもある。

 でも、バス事故をなくそうと取り組む姿をやっぱり響に見せたい。息子の仲間に感謝しながら前を向いていこうと思う。