
野田市で1979年、小学校1年生の女児=当時(6)=が殺害された事件で、殺人と強制わいせつ致死の罪で懲役12年の判決を受けて服役した青山正・元被告(66)=大阪府在住=が14日、地裁松戸支部に再審請求を行った。弁護団は重要証拠が捜査当局にすり替えられ、偽装された疑いがあると主張している。
弁護団によると、有罪認定の最大証拠になったのが事件2日後に現場近くで発見された女児のかばん。裏側のネーム片が切り取られており、供述通りに青山元被告の定期入れから見つかったとされる。
弁護団は専門家による鑑定の結果、事件直後に県警が公開した写真のかばんと、公判で証拠されたかばんは別物だったと主張。「捜査機関が有罪証拠を作り出すため、別のかばんを調達してネーム片を切り取り、供述によって発見されたかのように偽装した」としている。
また、青山元被告の供述と、女児の傷の状況や胃の内容物に矛盾があるなどとする新証拠も提出した。
同事件は、79年9月、野田市内で、下校途中だった女児が行方不明になり、竹林の古井戸跡から全裸で両手両足を縛られ窒息死しているのが見つかった。県警は事件から18日後、近くに住む知的障害者の青山元被告を逮捕した。
一部犯行を認めたとされる青山元被告は、地裁松戸支部の一審途中で否認に転じた。同支部は87年、責任能力と自白の信用性を認めて懲役12年を言い渡し、東京高裁も一審判決を支持。最高裁は93年に上告を棄却し刑が確定、青山元被告は94年8月、刑期満了で出所した。
◆「もう一度裁判を」 支援求める元被告ら
青山正元被告(66)と弁護団は再審請求の提出後、松戸市内で記者会見を開き、青山元被告は「もう一度裁判をやります。よろしくお願いします」とひときわ大きな声で支援を求めた。
重度の知的障害がある青山元被告は左足が不自由なため車いす姿で出席。現在は故郷の野田市から遠く離れた大阪府内で1人暮らしをしながら、毎週木曜日に授産施設に通っている。青山元被告は当時の県警の取り調べについて「何度も『やってない』と言ったのに聞いてもらえなかった。(捜査員から)『お前がやったんだろう』と言われて参った」と振り返った。
弁護団の久田修主任弁護士は「証拠の鑑定に時間がかかり、出所から20年かかってようやく再審請求にこぎつけた。今回の請求で再審決定を勝ち取りたい」と決意を示した。