2024年8月15日 05:00 | 有料記事

初めて臨んだ語り部活動で、長崎での被爆体験を伝える加藤さん=7日、千葉市中央区の県庁

原爆で焼け野原になった長崎の街(加藤さん提供)
「原爆の衝撃は一生忘れられない。体に染み付いて離れない」。県庁で今月開かれた「平和祈念原爆展」で、自身初の語り部活動に臨み、8歳で体験した原爆の恐ろしさと平和を守り抜くことの大切さを訴えた。戦後79年を迎えても核保有国はなくならないが、惨禍を知る語り部は減っている。「核兵器の問題を未来につないでいかないと大変なことになる」。その危惧が87歳の背中を押した。
(報道部・井田心平)
1945年8月9日、爆心地から約4キロほど離れた長崎市内の自宅近くで友達と遊んでいた。暑くなってきたので日差しの当たらない場所で涼もう。防空壕(ごう)に入ると「飛行機でも落ちたかと思うような衝撃と爆音が襲ってきた。一瞬で周りが真っ暗になってしまった」。防空壕にいたことで無事だったが、爆風で壕の入り口から奥まで吹き飛ばされた。
外に出ると「黒いインクと赤いインクを混ぜたような色が広がっていた。雲一つなかった青空が真っ暗になっていた」。通りではたくさんの人が亡くなり、異臭が立ちこめる。自宅の2階に上がると、大きなキノコ雲が見えた ・・・
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