激震襲う 1346人犠牲 館山被害集中「生き地獄」【房総の記憶 関東大震災100年】

地震後の館山町下町(現館山市)の様子。左は倒壊を免れた古川銀行館山支店、右奥は倒壊した安房銀行館山支店(同市立博物館提供)
地震後の館山町下町(現館山市)の様子。左は倒壊を免れた古川銀行館山支店、右奥は倒壊した安房銀行館山支店(同市立博物館提供)
安房郡内で最も多くの死傷者が出た北条町(現館山市)の被害の様子(同市立博物館提供)
安房郡内で最も多くの死傷者が出た北条町(現館山市)の被害の様子(同市立博物館提供)

 1923(大正12)年9月1日午前11時58分、激震が関東地方を直撃した。現在の基準でマグニチュード(M)7・9、最大震度7と推定される揺れで、死者・行方不明者は10万5千人を超えた。県内でも1346人が犠牲になり、甚大な被害が集中した館山市の被災者は「生き地獄のありさまを呈した」と伝えている。

 県が2009年にまとめた防災誌「関東大震災」などによると、地震発生時は昼食の準備で火を使い、強風だったこともあり各地で火災が起きた。全体の犠牲者のうち9割ほどが火災に巻き込まれて死亡した。炎や熱風が渦巻いて立ち上がる「火災旋風」という現象が起き、被害が拡大。火災旋風は東日本大震災の被災地でも複数の目撃情報がある。

 一方、県内の火災による死者は59人だったのに対し、約1250人が住宅の倒壊に伴い亡くなった。震源は相模湾北西部で、地震による家屋の倒壊被害などは東京都よりも、震源に近い千葉、神奈川県の方が大きかったという ・・・

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