2023年8月20日 05:00 | 有料記事

仙台空襲で右脚を負傷した体験を語る日佐戸さん=野田市

応集前日の日佐戸さん(本人提供)
終戦から10日後の1945年8月25日。復員して、地元の野田町駅(現東武鉄道野田市駅)に降り立つと、涙があふれ出た。生還できた喜び。ただ、涙の理由はそれだけではなかった。出征時は大勢の人が万歳をしながら盛大に見送ってくれた。右脚を失い九死に一生を得て、帰還した自分を出迎える人はいない。戦争のむなしさや不条理さを思い知らされた涙でもあった。
キッコーマンでしょう油の品質管理をしていた3カ月前に召集された。3月の東京大空襲で姉一家4人を失っており「自分も戦争で死ぬのか。せめて両親に親孝行ぐらいしたかった」。本当は戦争に行きたくない。だが、口に出せる時代ではなかった。
柏市の陸軍高射砲第115連隊第18中隊に配属された。高射砲で米軍 ・・・
【残り 6029文字】



