芸術論の新たな地平示す 岡野浩二著『芸術の哲学-画家がアトリエから-』

  • LINEで送る

 西洋哲学は内省、自らを映す鏡の比ゆによって語られる。ソクラテスの「なんじ自身を知れ」から近代合理論を打ち立てたデカルトの「我思う、ゆえに我あり」(コギト)、意識を<自分が-話すのを-聞く>に求め、プラトンから現代へ貫通する西洋哲学を脱構築したデリダまで内省に始まり、そこで終わる。

 カントは『純粋理性批判』で近代認識論の<コペルニクス的転回>を果たし、経験の成り立ちそのものを問う<超越論的還元>によって認識(真偽)、道徳(善悪)の領域を確定し、『判断力批判』で、美的判断が諸関心をかっこに入れて見る態度変更にあるとした。

 前著『芸術の杣道』で、「世界を光と空間に還元し、<美>を超越として措定して、それに向かって画面を全体化する」<抽象印象主義>を独力で切り開き、美の頂点を目指して制作する柏市の美術家、岡野浩二さんの新著『芸術の哲学-画家がアトリエから-』は芸術論の新たな理論的展開を示す好著だ。

 自己の自由を侵すものをすべて排除する実存主義的人生観と「目の超越的唯美主義が争って論理的答えが出せないでいた」岡野さんの50代に<転回>が訪れる。この分裂、<ずれ>の意識が哲学的探求の始まり、<コギト>だろう。

 現象学からドイツ観念論にさかのぼる一方、脳科学や数学論といった現代科学の最先端、特にフラクタル幾何学を援用し、<真・善・美>を再審に付す。世界を記号的に解釈し自己表現を事とする表現主義的な作品に比べ、マネ、セザンヌ、マチスの絵が美しいのは「世界を描写している」からだとし、世界は認識する側が創造すると考える<実存主義>と決別し、「世界は人間の外側に人間に関係なくある」と考える<超越的実在論>、絵画は<表現>ではなく、<描写>だ、との地平に到達する。

 岡野さんの方法は合理論と経験論の間で考えたカントに似ている。カントは美的判断が他の関心をかっこに入れて諸物の差異を新たに見いだす主観的能動性にあるとしたが、岡野さんも「意識の志向性や解釈を遮断して、目を独立させて、目の本質直感を研ぎ澄ます」超越論的方法だ。

 さらに高度な絵を描くため出会ったテーマが<物感>、「世界の存在感(リアリティー)」をどう描出するかだ。ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』などを手掛かりに、<物感>を「時間性の入っている写像」の描写とし、「光と空間」の抽象印象主義に、時間を加えれば至高の美が生み出されるとする。

 <表現>のかっこ入れを徹底的に純化することで目の快楽、描写の美が手に入った。だが、趣味判断は好みの問題で普遍性を保証しない。後期ウィトゲンシュタインの言う「共同的言語ゲーム」に属し、美的判断は多数多様に分かれる。実際、美術シーンは言説の闘争の場であり、表現主義的傾向の勢いは衰えない。

 ともあれ、「美とは何か」の難問と格闘し、自らつかみ取った一つの明確な解答がここにある。美術を志す者がぜひ手に取ってほしい一冊だ。(アートヴィレッジ・2500円)