念願の友を得る 八木重吉(13)

  • LINEで送る

 重吉が佐藤惣之助の主宰する「詩之家」に入会したすぐあと、草野心平(のちに「歴程」を主宰し詩壇を引っ張る中心的人物となる)は黄瀛(こうえい)の下宿で「日本詩人」に載った「秋の瞳」評を読み、自分が主宰する「銅鑼(どら)」に入らないかと重吉に手紙を書いている。

 草野と黄瀛は「銅鑼」の同人だから、草野は「詩之家」の三笠園詩会に出席した黄瀛を通して重吉の人柄を聞いたのだろう。これに対して重吉はすでに「詩之家」に入会したという理由で断っている。だが、これをきっかけに草野と友情が生まれている。友を求めた重吉は、「詩之家」や「銅鑼」を通して、初めての詩友をもったのだった。

 黄瀛は千葉県八日市場生まれの中国人で、多くの詩人たちと交遊する才能をもった。草野を高村光太郎に紹介したのも黄瀛で、宮沢賢治を花巻きに訪ねたり、のち魯迅とも会ったりする行動的人物。草野は中国の嶺南大学在学中に、黄瀛から手紙をもらい、二人は親しくなった。

 草野は光太郎と親しく交流。現在、光太郎の詩碑が九十九里と三里塚御料牧場跡に建っているが、詩碑裏にくせのある草野の太文字で、建立のいきさつが彫られている。

 草野が柏に重吉を訪問するのは大正15年3月のこと。「八木重吉詩集」(創元社)『覚え書』でその印象を述べている。

 その夜私は泊つた。そして彼が基督信者であること、読売の新刊紹介欄を切抜いてノートにはりつけておくこと、まんまるい子供が二人ゐること、暖かい家庭であることなどを知った。サイダーの壜につばきの花がささつてゐた。

 家庭はいかにも温暖さうなのに彼の顔は霙のやうにさびしさうだつた。それがひどく印象にのこった。・・・