性能東洋一の“耳と口” デマや戦争開始命令発信も 船橋海軍無線電信所 【戦後80年ちば 記憶宿る地を訪ねて】(11)

終戦後、米軍から返還される前の電信所の中心部(船橋市郷土資料館提供)
終戦後、米軍から返還される前の電信所の中心部(船橋市郷土資料館提供)
かつて高さ200メートルの主塔が建っていた場所を示す山本会長。片側2車線の道路を挟んだ向かいの石垣の上に「船橋無線塔記念碑」が建てられている=船橋市
かつて高さ200メートルの主塔が建っていた場所を示す山本会長。片側2車線の道路を挟んだ向かいの石垣の上に「船橋無線塔記念碑」が建てられている=船橋市

 船橋市行田にある半径400メートル、1周約2・4キロの円形道路。カーナビ画面でも一目で分かる特徴的な形状は「船橋海軍無線電信所」の名残だ。当時東洋一の能力を誇った同電信所は「日本の耳と口」として機能し日本の無線通信技術の発展にも大きく貢献した一方、関東大震災時のデマや太平洋戦争の開始命令の発信地となり歴史の負の側面を色濃く残す。

 滝口昭二さんの「行田無線史 総集編」や市の資料などによると、日露戦争後、艦船の行動範囲拡大などに伴い通信力の増強が求められたことから、海軍は東京近郊に大規模な無線電信施設を設置することを決定。いくつかの候補地の中から、19 ・・・

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