2020夏季千葉県高等学校野球大会 あの瞬間を捉えた写真も多数

【千葉魂】野球ができることに感謝 福田秀、亡き父を思い

今季から千葉ロッテの一員として戦う福田秀=ZOZOマリン
今季から千葉ロッテの一員として戦う福田秀=ZOZOマリン

 「野球ができることに感謝」。福田秀平外野手が心に刻んでいる言葉だ。それは小さい頃に父・徹さんから言われ続けてきた事である。

 「やりたくてもできない人はたくさんいる。好きな野球ができることに感謝しなさいと小さい時から教えられてきた」

 父・徹さんは大学途中まで野球をプレーしており、三塁や外野を守っていた。そんな父の影響を受けて福田秀も物心ついた時から野球を始めた。今でも思い出されるのは多摩大聖ケ丘高校1年夏に野球をやめたいと父に相談をした時の事だ。

 「その頃はプロなんて全然、思い描いていない頃。一般入試で高校に入って、自分よりもうまい人がたくさんいて、自分はなかなかうまくならなくて…」

 気持ちが切れそうになっていた息子を父はドライブに誘った。湘南海岸を走り、江ノ島、鎌倉に行った。「野球、もうちょっと頑張ってみないか」。涙する息子に父は語り掛けた。優しく背中を押してくれた。今でもその時、車の中から見えた夕日はハッキリと覚えている。「大きな存在でした。お父さん子でしたね」と振り返る。

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 そんな父は福田秀が19歳の時、ホークスに入団をした2年目の2008年6月に心筋梗塞により他界した。5月6日のウエスタンリーグ・タイガース戦(鳴尾浜)で守備中に腓骨(ひこつ)を痛め骨折と診断され、リハビリ中の出来事。リハビリを終え寮に戻ると携帯に家族から無数の着信が入っていた。嫌な予感がした。突然の悲報に悲しみに暮れた。

 「すごくつらかった。チームに合流してからもなかなか身が入らなかった」。励ましてくれたのは先輩選手たちであり現マリーンズヘッドコーチで当時、ホークスで2軍指導をしていた鳥越裕介コーチだった。その頃のホークス2軍が使用をしていた雁ノ巣球場で特守のノックを受けた後、三塁側選手ロッカーに呼ばれた。

 「鬼軍曹ですから。気持ちが入っていない事をめちゃくちゃ怒られると思った」
 怒声は飛んでこなかった。優しく励まし発破をかけてくれた。福田秀が大好きだった父を亡くした1カ月後の7月に鳥越コーチは乳がんで最愛の妻を亡くしている。同じ境遇にある中で気丈に振る舞い続け、必死に励まし野球に向き合わせようとしてくれた。周囲の支えの中、若者は前を向く決意を固めた。そして父の言葉を思い返した。「野球ができることに感謝」。そこから、どんな時も野球と真正面から向き合い続けた。そしてプロ14年目のシーズンを新天地で迎えた。

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 マリーンズ入団を機に本拠地で打席に入る際の登場曲を5人組ポップロックバンド「wacci(ワッチ)」書き下ろしの曲「歌にするから」を使用することになった。福田秀のためにと作ってくれた曲には「あなたの言葉で沸いてきた勇気がある」という詞があった。思わずドライブをしながら父の横で涙した遠い昔を思い返した。

 「初めて聞かせていただいた時に真っ先に父の顔が浮かびました。大事な人たちをこの曲を聞いて思い浮かべる」

 2020年シーズンは4月になった今も始まっていない。新型コロナウイルス感染予防の観点からチーム練習も休止の状態が続いている。それでも福田秀は気持ちを切らさず来るべき新たなシーズンに備えている。いつ始まってもいいようにできる準備を怠らず備える日々を送っている。いざ開幕の時、新しい舞台で新しい登場曲から後押しを受けて躍動する。今年はまた例年以上に野球ができることに感謝をする1年となる。

(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)



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