
その部屋には、まだなにもなかった。山積みの荷物がマリーンズ寮の自室に運ばれてきたとき、ルーキーの和田康士朗外野手が一番最初に取り出したものがあった。1枚の色紙。そこにはサインと共に「野球頑張れ!」と書かれていた。うれしそうに手にすると机の上の目立つところに置いた。
「プロ入りが決まった際に友達からもらいました。中学校1年の時のクラスメート。気が合って、その時から今までずっと付き合いがあります。彼が1年先にプロに入って、今回、マリーンズに指名していただいた時に、もらいました」
色紙はサンフレッチェ広島で活躍する松本泰志選手からのもの。中学時代のクラスメートで気が合った。当時、体育では短距離は和田。長距離が松本。周囲からそう言われ、運動神経を競い合い、意識し、切磋琢磨した仲だ。結局、短距離で負けることはなかったが、長距離で勝つことも出来なかった。当時から部活動ではなく、クラブチームでサッカーをしていることは知っていたが、その本当の実力は知らない。サッカーをしても遊ばれるかのようで、本領を発揮してくれることはなかったからだ。高校は別々の学校に進学。親友は1年生の時からサッカーの全国大会に出場するなど活躍。自身は野球を辞め、陸上部で走り幅跳びの選手としての日々を送っていた。6メートル45。それが和田の当時の幅跳びとしての記録だった。
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野球を再開するキッカケは別の友達だった。高校1年の夏。埼玉県大会初日の初戦をボーッとテレビで見ていると小中学校での野球のチームメートがベンチ入りしているのを知った。相手は名門・花咲徳栄高校。驚いたのと同時に沸々と野球への未練が湧きだした。高校1年の3学期に陸上部に退部届を出すと、地元のクラブチーム入り。野球を再開した。高校を卒業のタイミングで前年にクラブチームの先輩が独立リーグのチームにテストで合格をして入団をしていたことから「自分も腕試しに」とトライアウトを受験。するとドラフト1位という破格の扱いで入団が決まった。大きな自信を掴んだ。そして今度は次なる欲が湧いてきた。NPBでのプロ入り。今まで思い描いていなかった夢を現実の目標に捉えるようになっていた。
時を同じくして中学校の時に運動神経を競い合っていた親友もJリーガーになっていた。サンフレッチェ広島に入団。5月にはカップ戦でデビューを果たすと12月にはU-20で日本代表デビューと飛躍をしていた。それらの情報が耳に入るたびに刺激へと変えた。ホークス柳田悠岐外野手の打撃動画をYou Tubeで食い入るように見てはフォームとスイングを参考にした。「悔いが残らないように」といつもどんな時も柳田ばりのフルスイングを繰り返した。その姿がマリーンズスカウト陣の眼に留まる。「将来性を感じる面白い人材」と昨年10月に行われたドラフト会議の育成1位で指名された。指名を受けた時、一番最初に浮かんだのはやはり中学校1年生の時から運動神経を競い合った友の顔だった。
「彼にはすぐに自分から報告をしました。『本当に? お互い頑張ろうな』と言ってくれた。向こうは日本代表だし、試合にも出ている。雲の上にいる。早く追いついて切磋琢磨できる存在になりたい」
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年の暮れの12月31日。中学校時代の友達たちと集まった際に色紙とサインペンを持って行った。「なにかエールを書いてくれ」。お願いをするとうれしそうにペンを走らせてくれた。大事な1枚となった。それを手にマリーンズ寮に入寮した。高校時代は陸上部の走り幅跳びの選手だった異色の男の新しいチャレンジが始まった。
「他の選手を見ていると体の大きさが違うし、動きも違う。自分もしっかりと体を大きくして技術も伸ばしていきたいと思う」
2軍グラウンドで行われている新人合同自主トレでも、そのフルスイングは目につく。一日も早く支配下選手として登録され、1軍の舞台でその打撃を披露したい。一歩も二歩も先を行く親友に見せたいフルスイングがある。
(千葉ロッテマリーンズ 梶原紀章)