【千葉魂】 里崎は「強気」の鎧脱いだ 引退会見、止まらない涙のわけ

 オレだって、超弱虫だよ…。落ち込んでいる若手に、里崎智也捕手(38)が励ましていたことがあった。いつも笑っている。自信に満ちあふれ、誰よりも強気で、悩み事とはまったく無縁なように映っていた。それだけに、とても驚いたのを覚えている。

 「俺、めちゃくちゃ怖がりなんだよ。いつも弱気の虫が出ないように、強気という鎧(よろい)を着ているだけ。でも、一人の時の自分はいつも怖がってる。だけど、思うんだ。人間って、みんな弱虫で怖がりなんじゃないかな」

 その言葉がずっと忘れられなかった。悩んでいる選手にとって、これほど励みになるメッセージはなかったはずだ。プラスのオーラに満ちあふれている男でさえ、弱気な部分を持っているとすれば、自分が弱気になるなんて当たり前だと。そして同じように堂々と生きて、乗り越えてみようと。しかし一方で、本当に弱虫なのかという疑問が私には残った。

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 2014年9月12日、里崎は引退を決意した。16年にわたる現役生活にピリオドを打った。里崎は泣いた。会見で終始、泣いた。用意されていたタオルをぬらしながら、涙した。それは強気の鎧を初めて人前で脱いだ瞬間のように思えた。

 振り返ればこの16年間、周りが思うような楽な道のりではなかった。いくつもの試練を乗り越えて、挫折を克服して手にした栄光。そして、その日々に別れを告げた。苦しさを人に見せることを美学としなかった男が初めて、人前で泣いた。支えてくれたすべての人に感謝をすると、もう止めることはできなかった。

 「自分一人では何もできなかった。本当に皆様のおかげだと思います。感謝しています」

 プロ入りして、いきなりの試練だった。1999年6月。2軍の練習中にアクシデントが起きた。守備練習で転倒した際に左手首を痛めた。病院での診察結果では骨に異常が見られなかった。ほっとした。

 しかし、痛みが和らぐことはなかった。1カ月後に再診の結果、骨折していることが判明した。結局、シーズンを棒に振ることとなる。初めての手術は成功した。はず、だった。迎えた2年目のシーズン。悪夢のような出来事が起きた。痛みが再発したのだ。

 「ファームの試合中、いきなり痛みがきた。完全に治っていなかったらしい。また、1年を棒に振ってしまってね。ちょうど、シドニーオリンピックをやっている時期だった。深い意味はないけど、なぜか、それを鮮明に覚えている……」

 再手術。また、一からの出直しだった。2年目もシーズン途中で棒に振ることになった。新人時代から2年連続の手術だった。

 そして、3度目の試練。里崎にとって、最もショックだったという出来事は04年に起こる。開幕スタメンマスクを被るなど順調にスタートしたシーズン。しかし、4月に左ひざ半月版を損傷し1カ月、戦線を離脱した。

 「状態がよかっただけにショックだった。03年に1軍に上がって手応えをつかみ、よしやるぞと迎えたシーズン。悔しかった」

 度重なる3度の手術。しかし、それを乗り越えた。里崎は心に決めていた。どんな時もチャンスが来ると信じて準備をすると。だから精いっぱい、リハビリをした。野球ができないならウエートをした。リードを勉強した。だから、いざチャンスが舞い込んできた時に、それをしっかりとつかむことができた。05年、チームの日本一に貢献した。06年は第1回WBCにて日本代表として世界一となった。10年、3位から史上最大の下克上を完成させて再び日本一に上り詰めた。その日々は今や栄光に包まれている。

 「最初は10年ぐらいやれたらいいなあ。30歳までやれたらいいなあと夢見ていました。それが16年。ここまでやれるとは……。夢は越えられるんだあと思いました」

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 今年5月、左ひざを手術した。4度目の手術だった。だが、今回は痛みが和らぐことはなかった。手すりをつかって階段を上るのもつらいほどだった。開幕当初は「この試合で壊れてもいい」と壮絶な決意でグラウンドに立っていた。

 そんな壮絶な戦いの日々を終わりにすることを決めた。強気の鎧を静かに外した。すると、涙が止まらなくなった。なんとも優しい顔だった。多くのファンに夢と希望を与え続けた男が強いプレッシャーから解放された瞬間だった。だから、会見で我慢していた涙が止まることはなかった。「ありがとうございました」。振り絞るように感謝を述べた。

 (千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)



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