第五福竜丸の大石又七さん死去 元乗組員、核廃絶を訴え

「第五福竜丸」元乗組員の大石又七さん=2019年11月、神奈川県三浦市で撮影

 ビキニ事件で被ばくし、核廃絶を訴え続けた静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の元乗組員、大石又七(おおいし・またしち)さんが7日午前、誤嚥性肺炎のため死去した。87歳。静岡県出身。

 14歳で漁師になり、第五福竜丸に乗り組んで操業していた1954年3月1日、太平洋・ビキニ環礁で米国が実施した水爆実験「ブラボー」による放射性降下物「死の灰」を浴びた。

 乗組員23人全員が被ばく、半年後に無線長が亡くなった。

 事件後、上京しクリーニング店を経営。多くの元乗組員が口をつぐむ中、がんなどのさまざまな病気に苦しみながら自らの体験を語り、核兵器の恐ろしさを伝えた。


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