マラドーナ氏、中南米左派と交流 フィデル・カストロと同じ命日

2001年10月、キューバのカストロ国家評議会議長(右)に、左足に彫り込んだ同議長の肖像を披露するマラドーナさん(ロイター=共同)

 【ブエノスアイレス共同】25日死去したサッカー元アルゼンチン代表のスーパースター、マラドーナさんは左派思想に傾倒し、キューバやベネズエラの首脳らと深い交流があった。「第2の父」と慕うキューバの故フィデル・カストロ元国家評議会議長の命日は、くしくも同じ11月25日だった。中南米左派は大きな後ろ盾を失った。

 ブエノスアイレスの貧困地域に生まれたマラドーナさんは平等主義を目標に掲げたキューバ革命に心酔。薬物中毒治療のためキューバに滞在した。「アルゼンチンでは扉を閉ざす病院もあったがフィデルは扉を開いてくれた」と感謝。カストロ氏のタトゥーを入れるほど慕っていた。


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