2020年8月7日 17:28 | 無料公開
涅槃図の表面=大津市歴史博物館
大津市歴史博物館は、聖衆来迎寺(同市)にある「涅槃図」(1581年寄進)の裏面に、明智光秀の妻熙子の戒名「福月真祐大姉」が供養対象者として書かれているのを発見したと7日、発表した。
熙子の死亡時期は、菩提寺・西教寺(同市)の過去帳に記されている時期(76年)の他に、「明智軍記」が坂本城(同市)落城の際に自害したとする82年説もあり、同館の和田光生学芸員は「涅槃図が寄進された81年以前に死亡したと確認でき、76年死亡説の可能性が高まった」という。
熙子は光秀の正室で西教寺に墓があり、過去帳に天正4(1576)年11月7日に亡くなったことなどが記されている。