2017年8月13日 01:59 | 無料公開
太平洋戦争中、空襲の死傷者数が0人とされてきた大阪府阪南市で、小型機の機銃掃射で犠牲者が出ていたことが12日、目撃した男性への取材で分かった。戦後70年以上を経て新事実が明らかになったことに、専門家は「国による空襲の実態調査が進まず、見落とされてきた被害の一例だ」と指摘する。 男性は阪南市鳥取の元船員辻本久さん(82)。終戦前の1945年夏、海岸近くの自宅から、米軍のものとみられる銀色の小型機2、3機が低空で飛来し、沖合約100メートルにいた船を襲撃するのを見た。その後、修理のため沖に停泊していた木造船の船長の遺体が近所の造船所に運ばれるのを目撃した。