

昨年12月に社会人野球、日本製鉄かずさマジックの監督に就任した渡辺俊介氏(43)が千葉日報社のインタビューに応じた。「身が引き締まる思い」「(選手を)最高の選択へ導いてあげるのが僕の仕事」と話す元千葉ロッテの“サブマリン”に、監督としての思いやコロナ禍でのチームの現状について聞いた。
-監督に就任して意気込みは。
「コーチで4年やっていたので、どういう選手がいて、地域からどれだけ期待されているかも重々分かっている。意気込みというよりかは、グラウンドで野球の指揮を執る以外の部分で重みを感じているし、身が引き締まる思い」
-ここまで4カ月間の感想は。
「まだ公式戦を1試合もできていないので、やってきたものが結果として出せていないのは残念。でも選手のモチベーションは高い。監督が替わると、今までのレギュラーは危機感を抱くし、それ以外の選手はチャンスだと思える。そこで生まれたエネルギーを閉ざさないように、むしろもっと熱くしていこうというテーマでやってきた」
◆選手と討論
-鈴木秀範前監督が12年間率いたチームを引き継ぐ。自身の色はどう出すか。
「鈴木監督は長くやられていたので、それと同じことは僕にはできない。コーチ、キャプテン、選手、みんなの力を借りながらやっていきたい。監督になってすぐ、ミーティングを何度も繰り返した。みんなでチームをつくろうということで。僕が一方的に話すのではなくて、選手の思いも聞きながら討論した。そこがこれまでと一番違うスタイル」
-2020年のスローガン「結束~勝負の1年~」の意味は。
「昨年は都市対抗大会と日本選手権どちらも出場できなかった。それも代表決定戦は全部1点差で負けている。この差は『何が何でも1点を取るんだ、守るんだ』ってチーム全員が思えたかどうか。そういう話を選手と繰り返す中で出てきた言葉」
-プロや世界の野球を見てきた経験はどう生かすか。
「海外の野球は文化も宗教も違う人たちが集まる。いろんなやり方、いろんな選手がいるということは、いろんな正解があっていいと感じた。指導方針も選手が何をしたいか常に選択肢を持たせるようにしている」
◆切り替え大事
-日本野球連盟(JABA)は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、7月に予定されていた日本選手権と一部の公式戦中止を発表した。
「一気に力が抜けた。ああ、中止か…って。ただ、全チームがそうなので。この中で、どれだけいいチームがつくれるかは指導者側の手腕が問われるところだと思っている」
-選手に伝えていることは。
「11月の都市対抗大会(東京ドーム)に向けてスケジュールは明確にしてあげている。そうすることで試合がなくても目標を持つことができる。僕自身、いろんなチームで野球を経験したおかげで、気持ちの切り替えは得意になった。海外の野球は日程やチームメートがすぐ変わる。もたもたしていたら他のチームより良いものはつくれないし、そういう能力が今年は大事になってくると思う。その時々で最高の選択へ導いてあげるのが僕の仕事」
◆チームの存在意義
-チームは活動休止中。この間、地域との関わり方は。
「企業チームの存在意義は地域と会社に明るい話題を提供すること。それが、試合がないと『じゃあ僕らは何のために野球部にいるんだろう』となってしまう。今はチームに改めて“かずさマジックの存在意義”を考えてもらっている。僕も含めスタッフ、選手で社会貢献に向けた企画書を出し合うつもり。コロナの感染が拡大する前までは、夏に君津球場に子どもたちを招いて、野球教室と合わせたバーベキューやキャンプを考えていた。終息したら実現させたい」
-昨年10月には台風で被害を受けた地域にボランティアとして選手を派遣した。
「あのときは君津市と木更津市と連携した。地域のためにできることがあるなら、それをしない選択肢はない。そういう考えは定着しているし、常にそういうチームでありたい」
-最後に、活動が見られないファンへメッセージを。
「待ったら待っただけ楽しみも増えると思うので、楽しみに待っていてください」
◇わたなべ・しゅんすけ 1976年8月27日生まれ。国学院栃木高-国学院大-新日鉄君津(現・日本製鉄かずさマジック)を経て、2000年ドラフト4位で千葉ロッテに入団。“サブマリン”と称された下手投げ右腕で、05年に自己最多15勝を挙げ日本一に貢献。06、09年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)では日本代表の連覇を経験した。14年の米国挑戦を経て、16年からかずさマジックに投手兼コーチとして復帰した。