大雨の聖地“怪物”に雪辱 第55回(73年)選手権出場 銚子商・岩井美樹(国際武道大監督)  【千葉高校野球ドキュメント100】(17)

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第55回全国高校選手権の2回戦で江川を擁する作新学院(栃木)に勝利した銚子商を報じる1973年8月17日の千葉日報
第55回全国高校選手権の2回戦で江川を擁する作新学院(栃木)に勝利した銚子商を報じる1973年8月17日の千葉日報
「江川のボールは異質だった」と語る岩井美樹。現在は国際武道大の監督を務める=神宮
「江川のボールは異質だった」と語る岩井美樹。現在は国際武道大の監督を務める=神宮

 栃木・作新学院で数々の伝説を作り上げた江川卓。3年時の1973年夏、土砂降りの雨が降った甲子園の2回戦で“怪物”に勝ったのは、銚子商だった。「同じ舞台に立てたことが幸せ」。内野手としてチームの8強入りに貢献した岩井美樹は懐かしそうに笑う。大学屈指の名将が、45年前の決戦を振り返る。(敬称略)

 僕が銚子商に進んだのは、(中学の)担任は大学に行くのだったら市銚子に行った方がいいと言っていたが、当時は中学の校長先生を含めて全員が銚子商ファン。銚子商の斉藤(一之)先生がこれはいいなと思って、声を掛けてくれた。大学に行きたかったら市銚子の方が進学校だけど、銚子商で正解だった。甲子園という舞台はなかなか経験できるものではないから。

 (銚子商は)すごかった。僕らの代は(3年時の1973年に)地元国体だったから40、50人入ったけど1カ月で12人になった。家に帰るのが午前2時。1カ月で残った12人がそのまま残っていた。一番きつかったのはランニング。東海大のときは原(貢)監督はランニングメニューはそんなになかったので、大学は申し訳ないけど楽だった。一生分、高校の時に走った。僕らは最後の木製バット世代。僕らの一つ下から金属になったので。木だと長打が出ないので、守備と走塁を鍛えるためとにかく走った。木は飛ばない。僕は金属の経験がない。現役時代はずっと木製で監督になっても木製。

◆「異質だった」球に驚き

 初めて江川(卓・元巨人)と対戦したのは1年生の時かな。確かオープン戦で代打で使ってもらった。結果は三振だったかな。とんでもないボールだった。他に速い投手といえば一つ上で中日に行った(成東の)鈴木孝政さん。あと中日の監督で一つ上の森(繁和)さん。あの人はカーブが良い投手だったけど。銚子商の一つ先輩で大洋にドラフト1位で入った根本(隆)さんも。それでも真っすぐの速さはダントツで江川だった。ただ篠塚(和典・元巨人)だけは(73年)春の関東大会で代打で出て「先輩、(江川は)速いですか?」と聞いてきて「速いよ」と言ったら初球をセンター前にポーンと。あれは天才だね。「どうだった?」と聞いたら「速かったです!」と。江川がびっくりしていましたね。

 38年間監督をやっているけど、江川のボールは異質だった。今でも投手といえば松坂(大輔・中日)ではなく江川。甲子園までオープン戦、関東大会入れると6連敗だったんですよ。それで甲子園と国体を勝っちゃった。速い投手でも、ある程度ボールに慣れてきたということかな。「当たらないな」と思っている球が当たってファウルになったので、マウンド上で首をかしげていた。前年の秋の関東大会は僕なんか手が出なくて四球だった。それでベンチに帰ってきたら「これで完全試合はなくなった」と(笑い)。真っすぐとカーブしか投げなかった。カーブもすごい。顔付近に来るストレートと思った球がすごく曲がるから、打席で引っくりかえってストライクという打者が多かった。高校時代に直球で3種類ぐらいの速さの球を投げていた。

 江川対策としてはヘルメットを深くかぶって、見えない球は振るなと。バットも長さが3種類ぐらいのを作って、あの手この手でやりましたよ。データも取って、暑い晴れの日は成績が良くない。暑さに弱いから。曇り空の時はノーヒットノーランや完全試合が多かった。それで雨の時は弱い。甲子園の時は「雨降ればよいな」と思っていたら本当に降った。かわいそうなのは土屋(正勝・元中日など)が投げているときはそんなに大降りじゃないけど、江川のときは土砂降り。自然の力がないと、勝てないですよ。

 あの当時は消防法がそれほど厳しくなかったので、5万8千か6万人ぐらい入った。打席に入ったら球審がタイムをかけて、何だと思ったら観客がバックスクリーンに入っちゃった。そこから出て行ってくれと。甲子園の歴史で初めてじゃないですか。

◆「同じ舞台に立てて幸せ」

 試合前に「銚子商、最近強いよな」と言ってきた。本人は銚子商にそろそろつかまるかもと思っていたかもしれない。(銚子商は)前の試合も岡山東商と延長十二回サヨナラの試合をやっていた。試合後に斉藤先生の奥さんが宿舎にいて「岩井君、江川君から電話よ」と。何だろうと思ったら「頑張れよ! 俺はもうオフになっちゃった」と。面白いやつだった。斉藤先生の奥さんは「本当に仲良いんだね」と言っていた。

 大学のときに「たまには打たせろよ」と言ったら笑って「岩井には打たせない」と。なかなか良い男ですよ。僕のお義父さん(藤田元司・元巨人監督)が亡くなったときに家に来てくれて泣いていた。「俺はよく怒られた」と。「怒られたということは江川のことが好きだったんだよ」と言った。マスコミから受ける印象とは違って、あいつはとても良いやつですよ。そういう高校野球で100年に1人いるかいないかという人間と同じ舞台に立てたのは幸せかもしれない。

 【次回は6月23日、千葉経大付・松本啓二朗を掲載します】

◇いわい・よしき 1955年4月6日生まれ。63歳。銚子市出身。銚子商時代は内野手として73年の第55回全国高校野球選手権ベスト8などに貢献。2回戦でエース江川卓(元巨人)を擁した作新学院(栃木)に延長十二回、1死満塁から押し出し四球でサヨナラ勝ちを経験した。同年秋の千葉国体でも決勝で作新学院を破り、優勝。卒業後は東海大に進学。81年から同大の監督に就任して8度の優勝に導いた。89年から国際武道大監督を務め、2017、18年の全日本大学選手権では2年連続の準優勝を果たした。教授として授業も行う。

◆プレーバック

第55回全国高校野球選手権

 ▽2回戦(1973年8月16日・甲子園)
作新学院(栃木)
   000000000000―0
   000000000001x―1
銚 子 商
(延長十二回)
(作)江川―小倉
(銚)土屋―木川
▽三塁打 磯村(銚)
▽二塁打 小倉(作)

1回戦  1―0 岡山東商

※記録は当時の千葉日報による