2018年3月19日 05:00 | 有料記事
すべては銚商悲願のため。満身創痍(そうい)になりながらも、土屋正勝は立ち上がり続けた。2年春から4季連続甲子園出場。1973年夏、作新学院の江川卓と延長12回を投げ合い、押し出し四球で1-0サヨナラ。雨中の激闘を制した。74年は自身最後の夏。右肩と肘に激痛が残る中、治療を繰り返しマウンドへ。ほぼ一人で投げ切り、深紅の大優勝旗を初めて銚子商にもたらした。(敬称略)
16対0で報徳学園(兵庫)に大敗。おれにとって初めての甲子園は2年春(73年)だった。負けて夜9時ごろに大阪を出たのかなぁ。朝の5時か6時ごろに戻ってきたんだけど、銚子は漁師町で朝が早い。バスのカーテンは閉 ・・・
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