2018年2月26日 05:00 | 有料記事
憧れの石井好博や小川淳司を追い習志野へ。名門の背番号1を継いだ。1980年夏、県野球場の決勝。当時の最多記録となる3万5千人が駆け付ける中、右腕を振り続けた。春県大会で敗れ雪辱に燃える成東に対し、九回には自ら3ランも放ち、完投勝利。悲願の甲子園出場を果たした。第2回は現習志野高監督の小林徹。(敬称略)
僕は市内の人間なので、1975年の小川さん(淳司・現ヤクルト監督)の甲子園優勝パレードを生で見ている。旧校舎のグラウンドも家から近く、習志野は一番身近に感じていた。
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