街に活気を 父娘の挑戦 民宿を防災キャンプ場へ 館山・富崎地区 【房総半島台風2年】(上)

改修工事が進む富崎館で、被災当時の状況や地区の将来を語り合う八代さん親子=館山市
改修工事が進む富崎館で、被災当時の状況や地区の将来を語り合う八代さん親子=館山市
建物の一部が解体された富崎館。防災機能を備えたキャンプ場整備へ再建が進む
建物の一部が解体された富崎館。防災機能を備えたキャンプ場整備へ再建が進む
昨年7月に館山市へUターンした美歩さん。「私みたいな人間があと3人いれば、60人分ぐらいの元気になる」と、まちの活性化へ自信をのぞかせる
昨年7月に館山市へUターンした美歩さん。「私みたいな人間があと3人いれば、60人分ぐらいの元気になる」と、まちの活性化へ自信をのぞかせる

 一昨年の9月9日、房総半島台風(台風15号)で多くの住宅が被災した館山市富崎地区(布良・相浜)。あの日から2年がたち、多くの住宅が修復を終える中、今も改修工事中の建物がある。台風前から長らく休業していた老舗の民宿「富崎館」は今年、大破した建物の一部を解体。防災機能を備えたキャンプ場として、大きく生まれ変わろうとしている。かじを切ったのは6代目の八代健正さん(53)と、昨年7月に同地区へUターンした長女、美歩さん(28)。親子の故郷に対する「勝手な」使命感と、底抜けの明るさが、疲弊したまちに“潤い”をもたらしている。(館山・鴨川支局 飽本瑛大)

 富崎館は明治期に漁師町の民宿として創業。古くは釣り客を中心に、近年では合宿に訪れる学生や家族向けの宿として親しまれてきたが、健正さんが体調を崩したことや、健正さんの母が高齢だったこともあり、2018年秋に一時休業。再開を模索していた矢先、未曽有の暴風が小さなまちを襲った。

 市南部の同地区では竜巻のような暴風が吹き荒れ、約8割の世帯で屋根瓦などが破損。富崎館でも一番高い場所にある屋根が50メートル先まで吹き飛ばされ、2階の外壁がほぼなくなり、館内は水浸しで使えなくなった。

 約2週間後に岐阜県から様子を見に来た美歩さんも、言葉を失った。「びっくりしたというか、悲しかった」

 健正さんは当時、移住促進などに取り組むNPO法人「おせっ会」の理事長として活動。復旧活動は“本業”ではなかったが、「ふるさとを失ってたまるか」との一心で、仲間と共にボランティアセンターを開設。全国各地から集まったボランティアへの作業の割り振りや大量のがれき撤去、被災後の長雨などで繁殖したカビの清掃作業に汗を流した。

◆唯一のふるさと

 健正さんは幼少期から父親の仕事の都合で県内外を転々とし、中学2年生の時に引っ越してきた富崎地区が「唯一のふるさと」。美歩さんにとっても、生まれてから18歳まで青春時代を過ごした思い出の地だ。当時の布良について、健正さんは「あちこちで、おじいさんやおばあさん同士が『おい』『おいよ』って不思議なあいさつをする。なんだか、騒々しいところに来たなと思った」と笑いながら振り返る。

 高校卒業後、美歩さんは旅館業を学ぶため岐阜県に移住。半年ほど働いたが、幼い頃に習っていた極真空手にもう一度取り組もうと、退職。国内有数の指導者の下で一から学び直し、国際大会に出るほどに才能が開花した。

 選手として大事な時期を迎えていた昨年、新型コロナウイルスが流行。緊急事態宣言も発令され、戦う場を失った。福祉関係の仕事にも就いていたが「一区切り付けよう」と、ふるさとへ戻った。

◆「勝手な」使命感

 今年3月、健正さんも復旧活動に区切りを付け、本格的に補修できなくなった建物の解体に着手。約1800万円と多大な費用がかかったが、保険や自己資金で賄った。残った建物をどうするべきか-。思い浮かんだのは、会話が飛び交うかつての漁村の風景と、人がどんどん離れていくまちの現状だった。

 「人がいなくなり、残った人は年老いて、地域に力がなくなっていく。何もせずにこの地域が絶えてしまったら、おそらく僕の中にものすごい罪悪感が残る。何とかこの地域をもう一回よみがえらせたい、という勝手な使命感が湧いた」。キャンプ場と大衆食堂、直売所の3本柱で人の流れを生み出し、富崎のファンをつくろうと決めた。

 被災地でめぼしい観光地でもない地域に客は来るのか。迷いはあったが、娘の力強い一言も背中を押した。「娘がやりたいと言い出したから『やる義務はないんだ』と言ったら、『義務じゃなくて自分がやりたい』と」。1人でなければ、できるかもしれないと勇気づけられた。

 電気・水道の復旧工事やシャワー室の設置などで、改修費は1200万円ほど。すでに解体費がかさみ、すべて支払える余力はなかった。それでも、再建のために何とか資金を集めようと、クラウドファンディング(CF)に挑戦。約1カ月半で370万円を集める目標だったが、予想を超える反響があり、約1カ月で目標額に届いた。中には応援メッセージも添えられ、2人で泣きながら「ありがとう」と感謝した。

 海抜14メートルの場所に設置予定のキャンプ場は、津波警報が出た際に一時避難場所として活用できるよう整備。防災倉庫も備え、台風15号の際に全国から集まった物資や工具を保管する計画だ。まずは地産食材を扱う直売所のプレオープンに向け、二人三脚で企画立案や改装作業に奮闘している。

◆「後遺症」残るまち

 あの日から2年。家の屋根を覆っていた多くのブルーシートはほとんど取り除かれ、表面的にはかつての漁師町の姿を取り戻したように見える。しかし、健正さんは「問題は人口減。布良には90人を超える高齢の独居世帯がある。地域の力がどんどんそがれている」と危機感を強める。

 健正さんは台風15号の被害を「大災害だった」と前置きした上で、こう例えた。「屋根の損壊や雨漏りは、人間で言えば切り傷。それが時間を追うごとに悪化し、重傷化していった。後遺症として、人口減と機能不全が残った」

 「心の被災も大きい」と続ける。「地域の人たちが『次の台風が来たとき、また1人で暮らすのは怖い』と、ここで生きていく勇気を失ったというか。たとえ、家を建て替えるとしても布良には建てないという人が増えてしまう」。だからこそ、富崎館を地区の魅力を発信する拠点にし、いずれは布良に住んでほしい-。被災を経て、ふるさとへの思いが一層強くなっている。

 美歩さんが帰郷したことで、まちの雰囲気も変わりつつある。「この子が作業しながら、前を通る人たちに『こんにちは!』って大きい声であいさつすると『いいなあ、明るくて』と返してくれたりして、昔の布良を思い出す。ロジカルではないけれど、こうした人の輪が生まれてくれば、地域の人の心も変わる」。美歩さんの底抜けの明るさは、数少ない地域の若者も巻き込み、復興への活力となっている。

 以前のまちの姿にはもう、戻らないかもしれない。それでも、富崎館の再建が、地域の未来につながると信じている。


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