2020夏季千葉県高等学校野球大会 あの瞬間を捉えた写真も多数

感謝胸に東京駆ける 笑顔の鉄人、表彰台へ パラトライアスロン 秦由加子(市原出身) 【JUMP! いざ祭典へ】第1部 (12)

メダル獲得へ闘志を燃やす秦由加子=千葉市稲毛区
メダル獲得へ闘志を燃やす秦由加子=千葉市稲毛区
インタビューに応じる秦
インタビューに応じる秦

 「以前は脚を隠すことばかり考えていたけど、トライアスロンとの出合いが気持ちを前向きにさせてくれた」。屈強な肉体が求められるタフな競技だが、はじける笑顔に充実ぶりがうかがえる。

 13歳の時、右脚の骨肉腫が判明、太ももから下を切断した。高校時代は同年代の子がおしゃれを楽しむ姿がうらやましく、つらかった。「なぜ私だけ…」。ふとした時に涙が止まらなくなることも。

 3~10歳まで水泳をしていたが、義足になって以降、プールから離れた。就職した会社では経理などを任されていたが、2008年、身体障害者の水泳チーム「千葉ミラクルズ」が新規メンバーを募集していることを知った。障害を隠さず、泳ぎを楽しむ仲間たちの姿があった。

 13年、身近でトライアスロンを行う選手を見て競技の魅力に引かれていった。16年のリオ大会から正式にパラ競技に決まり、わくわくする自分がいた。水泳からの転向に迷いはなかった。

 課題は初心者同然のバイクとラン。義足を競技ごとに付け替えるのに時間がかかったり、他の選手と接触し競り負けることもあったが、練習を重ねるうちにバイクは左脚だけでこぐ方がタイムを出せるようになった。

 競技にのめり込んでいくうちに、嫌いだった自身の姿が好きになっていった。かつて母親に「元気に産んであげられなくてごめんね」と言われたこともあった。いまは「この体に産んでくれたことに感謝している」。

 前回のリオデジャネイロ大会では6位入賞。東京の舞台では、果たせなかったメダル獲得へ闘志を燃やす。「支えてくれた多くの人たちがいたから競技を続けられる。感謝の気持ちと、パラトライアスロンが楽しいということを伝えたい」

=第1部おわり

◇はた・ゆかこ 1981年4月10日、市原市出身。和洋国府台女子校-キヤノンマーケティングジャパン・マーズフラッグ・稲毛インター所属。

(この連載は運動部・小川洋平、森大輔、伊藤空夢、報道部・山崎恵、渡辺翔太、伊沢智樹、中野采香が担当しました)


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