復興かわら版に体験談 「津波の記憶」継承を期待 旭市 渡辺昌子さん(72) 【3・11大震災ちば8年~語り継ぐ】(3)

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「復興かわら版」を並べて語る渡辺昌子さん=旭市
「復興かわら版」を並べて語る渡辺昌子さん=旭市

 「立ち泳ぎしながら竹垣につかまって助かった」「海水をたくさん飲んだ」-。

 津波などで14人が死亡、2人が行方不明となり県内最大の犠牲者が出た旭市。震災後、同市で定期的に発行されるようになった1枚紙の無料新聞「復興かわら版」は、被災した市民の貴重な体験談を紹介してきた。執筆しているのは津波で自宅が大規模半壊となった渡辺昌子さん(72)。被災者に寄り添いながら、語り継ぐ取り組みを続けている。

 渡辺さんは地震発生時、夫が経営し、飯岡地区の高台にある宿泊施設にいた。当時勤めていた私立高校の同僚と会食中だったが、和やかな時間は突然の横揺れにかき消された。高台に避難者の車が押し寄せる中、「白波が鈴なりに迫ってくるのが見えた」。その時は津波で死者が出るとは考えもしなかった。

 海岸沿いの道から5軒目に位置する自宅に戻ると、ガラス戸は破れ、床上1メートル以上浸水。愛犬は溺れて死んでいた。

 震災後、メディアには東北被災地の情報ばかり。「このままでは地域の震災の記憶が風化してしまう」。夫が代表を務めていた地元のまちづくり団体が震災体験の聞き取りを実施することを決め、渡辺さんが担うことになった。

 震災直後の2011年5月に活動開始。当初は、新聞販売店が発行する月刊紙のライターだった林葉子さん(59)=旭市=に協力してもらった。

 最初に訪ねたのは渡辺さん宅の目の前に住んでいた漁師(3年ほど前に死亡)。取り組みを理解し、別の被災者を紹介してくれた。一方、被災者を訪ねる中で「公式記録は行政がやっている。被災者の気持ちを考えて」と追い返されることも。つらい体験を思い起こす心の痛みを思い知らされた。

 第1号は同年夏に作成したが、「被災体験を近所に知られたくない」といった取材対象者の意向により配布されなかった。第2号(同年10月)以降は対象者の理解が得られ、地域の各家庭のほか、イベント会場でも配布した。現在は、夫が代表のNPO法人「光と風」(旭市)が新聞発行事業を引き継ぎ、2~3カ月に1回のペースで7千部を発行している。

 震災翌年には体験談をまとめた本を出した。「誰かがしなければならないことをしてくれた」といった反響もあり「活動が報われうれしかった」と振り返る。

 気がかりなのは地域の高齢化。「語れる人がいずれいなくなってしまう」-。渡辺さんは語り継ぐことに主眼を置いた「旭いいおか文芸賞『海へ』」の開催にも尽力する。文芸賞には、小中高生を含め多くの作品が集まっている。「若い世代にも『海』について考えてもらいたい」と、若年層による未来への記憶の継承に期待を寄せる。

(銚子海匝支局・田村理)