謎の巨大六角遺跡 民間から無償取得 市原市 全長60メートル、有力者の墓か

市原市が取得した海保大塚古墳(中央の六角形の盛り土部分)=同市海保(1989年撮影、市埋蔵文化財調査センター提供)
市原市が取得した海保大塚古墳(中央の六角形の盛り土部分)=同市海保(1989年撮影、市埋蔵文化財調査センター提供)
海保大塚古墳の近影(2017年撮影、同センター提供)
海保大塚古墳の近影(2017年撮影、同センター提供)

 市原市は、巨大な古墳を含む同市海保の土地を民間から無償で取得した。古墳は「海保大塚(かいほおおつか)古墳」と呼ばれ、墳丘の全長は60メートル(高さ約8メートル)もある。市埋蔵文化財調査センターによると、4世紀末の築造とみられ、この時期の円墳としては県内最大級という。この地一帯を治めた有力者の墓の可能性が高く、六角形という極めて珍しい形状をしているなど謎も多い。市は「国指定史跡を目指す姉崎古墳群を構成する主要古墳の一つ」と重要視している。

 土地は大手建設会社の大成建設(東京都新宿区)が1960年代から所有しており、2万5750平方メートル(評価額404万円)を7月29日付で無償譲渡。市は寄付を受け今月1日、表彰状を贈呈した。

 同センターが2017年度に行った遺跡確認調査の報告書などによると、遺跡は通称・大塚山の平坦面に立地。古墳時代前期から終末期まで長期にわたって存続した姉崎古墳群の東南部に位置しており、築造時期は4世紀末ごろ(古墳時代前期末から中期初めの時期)と推定される。古墳の中心部は未発掘のため、墓の主は特定されていない。

 古墳の形状は、六角形2段に円丘が乗り、その上に方形の3段が築かれた計6段で構成。確認調査の結果、築造時は全体が円形の墳丘だったが、江戸時代に土が盛られ、複雑な形状に変わったことが判明した。なぜ六角形にする必要があったのか、理由は不明という。

 地元では、古墳は出羽三山信仰の場として利用され、県指定無形民俗文化財「大塚ばやし」が演じられていた。このことから、同センターは「六角形は信仰と何らかの因果関係があるのではないか」とも推測する。

 市教委ふるさと文化課の担当者は、今後の方針について「まずは市の文化財指定、最終的には姉崎古墳群の国史跡指定を目指す」と話し「地元の方と協力しながら保存管理に努め、さらなる調査も検討したい」とした。


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