帰国後、活躍なかばで逝く 柳敬助 【海を見つめる画家 大久保守】

 柳は東京美術学校3年生のとき、渡米を計画。師の黒田清輝は時機尚早と反対する。当時、〈アメリカは美術の面ではまだヨーロッパの植民地のまま〉であった。黒田はアメリカ美術が成熟するまで待て、と諭したのだろう。だが海外雄飛の思いは強く、彼は明治36年10月 ・・・

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