青函丸の悲劇後世に 勝浦・資料初公開 戦争末期沈没、13人犠牲

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太平洋戦争中に勝浦沖で沈没した第九青函丸の悲劇を伝える平和展=勝浦市役所
太平洋戦争中に勝浦沖で沈没した第九青函丸の悲劇を伝える平和展=勝浦市役所
第九青函丸のイラスト(青函連絡船史料研究会の高橋紀男さん作図)
第九青函丸のイラスト(青函連絡船史料研究会の高橋紀男さん作図)

 「勝浦市平和展」が市役所1階ロビーで開かれている。今回、初めて太平洋戦争末期に同市沖で座礁して沈没した青函連絡船「第九青函丸」の資料を展示。犠牲者13人をしのび、本来の任務を果たせなかった船の悲劇を伝えている。

 「第九青函丸」は1945年2月15日完成。北海道産の石炭を本州に運ぶなど輸送力の増強を目的に建造された。全長118メートル、総トン数2790トンで、貨車44両が積載可能の大型船だった。従来の船より資材を減らし短い工期で仕上げた「戦時標準船」で、安全性や性能が低かった。

 同月27日昼に船員ら140人を乗せて横浜港を出港。海防艦「四阪」とともに函館を目指した。米軍による魚雷攻撃を避けるためジグザグ航行で北上し、同日午後8時ごろ、勝浦沖で暗礁に乗り上げた。必死の防水作業にも関わらず、「戦時標準船」だったために浸水は止まらず、同10時50分に沈没した。

 沈没前に短艇が降ろされ、住民に救助を要請。翌日午前2時ごろから市内や御宿町内の漁船20隻が駆け付けて約40人を厳冬の海から引き上げ、たき火や人肌で凍えた体を温めた。

 四阪は米軍による魚雷攻撃で第九青函丸が沈没したと勘違いし、28日朝まで救助に訪れなかったという。同日午後まで救助活動は続き13人が亡くなった。

 第九青函丸の沈没については市に詳しい資料がなく、青函連絡船乗組員OBらによる青函連絡船史料研究会が調査を進めた結果、実像が明らかになった。展示は今年3月に都内であった同会の安田栄治さんによる講演会を基に構成されている。

 同会の現地調査に協力した市職員で展示を担当する井上啓さん(44)は「青函連絡船が勝浦沖に来たいきさつ、犠牲になった方々の悔しさを感じてもらえれば」と来場を呼び掛けている。

 18日まで。午前8時半~午後5時15分。問い合わせは市総務課(電話)0470(73)6646。