武士道尊んだ鈴木貫太郎 吉田・マッカーサー書簡初公開 野田の記念館、没後70年で企画展

担当学芸員の笹川さん(左)から展示資料の解説を受ける来館者=野田市鈴木貫太郎記念館
担当学芸員の笹川さん(左)から展示資料の解説を受ける来館者=野田市鈴木貫太郎記念館
吉田がマッカーサーに送った手紙。「Bushido」に下線を引いて強調している
吉田がマッカーサーに送った手紙。「Bushido」に下線を引いて強調している

 太平洋戦争を終結へ導いた野田市出身の首相・鈴木貫太郎(1867~1948年)の没後70年をしのぶ企画展が、同市関宿町の「野田市鈴木貫太郎記念館」で開催されている。吉田茂首相とGHQ(連合国軍総司令部)最高司令官ダグラス・マッカーサーがやりとりした手紙から、敗戦による混乱期でも武士道精神を重んじた鈴木の信念や人間性が浮かび上がる。入館無料、11月4日まで。

 関宿藩士の長男として生まれた鈴木は、幼少期を同町で過ごし、海軍兵学校に入学。連合艦隊司令長官などを経て、太平洋戦争末期の1945年には内閣総理大臣に就任した。連合国との終戦交渉に尽力し、降伏表明後に総辞職。晩年は郷里の同町で生活した。

 企画展では、終戦から1年後の46年8月15日に、当時の首相・吉田がマッカーサーへ送った手紙と、それに対するマッカーサーの返事を展示。手紙はいずれも草稿や複製とされ、同館担当学芸員の市教委社会教育課、笹川知樹さん(27)によると、初めて公開される貴重な資料だという。

 吉田の手紙は、同日付の毎日新聞に掲載された鈴木のインタビュー記事の内容を、マッカーサーに伝えるもの。鈴木は記事内で終戦時を回想し、「武士道は日本の独占物ではなく、世界の普遍的な道義」と指摘。当時は多くの政治家や軍関係者が敗れた日本の未来を憂慮していたが、鈴木はマッカーサーもまた武士道精神を持つ軍人であり、敵将ながら信頼していた-といった趣旨の発言をしており、吉田は記事の一部を英訳して手紙に引用した。

 吉田は手紙で「武士道」の部分に下線を引き強調。「鈴木男爵の態度と心情は陛下や大多数の人々と同じであると確信致します(一部略)」と記し、鈴木の武士道精神を称賛した。手紙を受け取ったマッカーサーからは、即日で謝意を述べる返事が届いている。

 笹川さんは「マッカーサーは交渉術の一環で返信を遅らせる傾向があったが、この手紙には即日で返しており異例。鈴木の武士道精神や、それに感銘を受けた吉田の熱意を好意的に受け止めたのでは」と話す。

 開館時間は午前9時~午後5時、月曜休館。問い合わせは同館(電話)04(7196)0102。

◆吉田がマッカーサーへ送った手紙

(鈴木のインタビュー記事部分、一部省略)

 降伏を受け入れる時の気持ちは私としては至極平静であつた、周囲の人々はいろいろと心配し国体護持の点について聯合国側に保障の言質を得るやう交渉すべしと主張した、しかしそれは本質的に無理であつて私は敢へてその労をとることは避けた、といふのはこちらは敗れたのである

(中略)

 しかし私は次の一点につき絶大な信念を持つてゐた、それは敵将を信頼するといふことである、武士道は日本の独占物ではない、世界の普遍的な道義である

(中略)

 私はマッカーサー将軍の個性は知らなかつたが私も武人の一人としてこの心理を固く信じてゐた

(中略)

 陛下はマッカーサー司令官の占領政策は公明正大で今の進行状態はきはめて満足であると仰せられてゐた、今となつて敵将を信ずるといふ私の信念は全く正しかつた

(以下略)


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