「桜井の拳」に佐原沸く 気負わず、史上初の金 躍動したご当地選手 【ちば聖火のバトン 1964年から2020年へ】(3)

  • LINEで送る

1964年東京五輪のボクシングで相手にパンチを繰り出す桜井孝雄選手(右)(大佑さん提供)
1964年東京五輪のボクシングで相手にパンチを繰り出す桜井孝雄選手(右)(大佑さん提供)
桜井孝雄選手らの金メダル獲得を報じる当時の千葉日報紙面
桜井孝雄選手らの金メダル獲得を報じる当時の千葉日報紙面
1964年東京五輪で、父親の桜井孝雄さんが獲得した金メダルを手に活躍を振り返る大佑さん=東京・築地のジムで
1964年東京五輪で、父親の桜井孝雄さんが獲得した金メダルを手に活躍を振り返る大佑さん=東京・築地のジムで

 世界中のトップアスリートが競う五輪・パラリンピックは日本勢の応援におのずと力が入り、快進撃を果たせば大いに盛り上がる。それがご当地選手なら、なおさらだ。1964年東京五輪で、本県出身・在住の関係選手は15人が出場。このうち、3人が金メダルに輝き、1人が銅メダルを獲得する活躍に沸いた。

 中でも、日本初のボクシング金メダリストになった故桜井孝雄さんは、佐原市(現香取市)出身。地元の県立佐原一高(現佐原高)生時代から高校総体優勝で注目を集めた拳を引っさげ、名門の中央大学(東京)ボクシング部に進学して成し遂げた快挙だった。

◆1回でも勝てれば

 23歳の若さでつかみ取った世界の頂点に、古里は熱狂。当時の千葉日報紙面も「ついにとったぞ王者のメダル 果たした県民への約束」と大きく伝えている。

 出場したのは軽量で激戦のバンタム級。3試合を勝ち抜き挑んだ準決勝では、ウルグアイ代表の強豪との激しい打ち合いの中、さえるフットワークで主導権を握り、見事判定勝ち。前の試合まで心配のあまり、息子の勇姿を直視できなかった両親が、会場から感動の拍手を送る熱戦だった。

 勢いに乗った決勝戦は韓国選手を相手に4度のダウンを奪い、審判が「相手は続行不能」と判断して劇的勝利。金メダルが決まると、佐原の実家に駆け付けた近所の人たちから「万歳」の声がこだました。

 こうした周囲の熱狂をよそに、桜井さん自身は気負いが少なかったという。「1回でも勝てればという気持ちで臨み、対戦相手の研究もそれほどやっていなかったようです」。桜井さんの長男の大佑さん(32)=船橋市=が、生前の父親から聞いていた当時の様子を教えてくれた。さすがに初戦は緊張したが、金メダル獲得後も、周囲の騒ぎぶりを見るまで「事の大きさ」に気付かなかったという。

 その金字塔の重みは、日本から2人目の五輪ボクシング金メダリストが誕生するまでに48年の歳月を要したことが物語っている。

◆プロ転向、後進育成

 桜井さんは、東京五輪後に転向したプロでは世界王座に届かず、71年に引退。東京・築地にボクシングがメインのスポーツジムを設立して後進の指導にも取り組み、2012年1月に70歳で世を去った。自身に続く五輪王者の誕生を待ち望んでいた思いを受け継ぐように、この7カ月後、ロンドン五輪のミドル級で村田諒太選手(32)=現プロWBA世界ミドル級王者=が金メダルを獲得した。

 自らの進路を巡ってアマチュアとプロの対立も経験した桜井さん。早い段階から「五輪にプロも参加できれば互いの技術向上につながる」との持論を語っていた。64年当時はアマ選手の祭典だったが、今ではプロに門戸を開いた競技も多い。ボクシングも制度上は2016年リオ五輪からプロの出場が可能になった。

 父の姿を追い、自らも市立習志野高校で高校総体のボクシングに出場した大佑さん。「20年には日本勢がたくさんのメダルを」と躍進に期待する。父から引き継いだジムでは将来有望な若者らと汗を流す日々。「五輪に出場できるような選手を育てたい」。さらに先も見据えて意気込んだ。