振る舞い料理を次代へ 断面に絵柄、教室で魅力発信 房総太巻き寿司(市原) 【昭和100年 時超え令和へ 千葉の物語】(5)

料理教室で作った太巻き寿司を披露する上田さん=市原市
料理教室で作った太巻き寿司を披露する上田さん=市原市
太巻き寿司を作る料理教室の参加者
太巻き寿司を作る料理教室の参加者

 さまざまな具材を巻いて作った太巻きに包丁を入れると、断面にツバキや雪だるまなどの可愛らしい絵柄が現れる。昭和時代から冠婚葬祭の際のごちそうとして受け継がれきた郷土料理の「房総太巻き寿司」。市原市五井出身で、いちはら食育の会代表の管理栄養士、上田悦子さん(74)は「太巻き寿司は振る舞い料理で提供され、食事は地域のコミュニケーションの場を担ってきた。市原の食文化として誇りを持って残していきたい」と次代につなぐ活動を行っている。

 江戸時代からノリ養殖が盛んだった内房の地域では、明治時代に入ると、ノリの生産量が増加し、一般の家庭にも普及。国や県の水産試験場の調査で養老川河口がノリの養殖に適していることが判明すると、市原でも養殖が始まった。

 米とノリの産地で、かんぴょうも作られていたことから、細巻きを中に入れて太くする「太巻き寿司」が誕生した。切った断面がきれいな絵柄になるようにしたり、すし飯に貴重だった砂糖を使ったりして、一般家庭のおもてなしの料理として盛んに作られるようになった。

 昭和の頃、冠婚葬祭は自宅で行われ、地域を挙げての行事だったため、太巻き寿司は手間暇かけて作る家庭の味として親から子へ受け継がれてきた。上田さんによると、昭和40年頃には広く継承させるために、絵柄のバリエーションも増加。講習会での普及に一役買ったという。

 市原市では昭和30年代にはコンビナート建設のためノリが作られなくなったが、講習会の活動が盛んだったため、太巻き寿司を作る習慣は続いた。平成に入ると、家で冠婚葬祭をする機会が減り、家庭で作ることも減ったが、今日では食育という観点から、料理教室などによる普及活動が広まっている。上田さんが主宰する料理教室「ヘルシークッキング」もその一つで、太巻き寿司の文化を後世に残そうと取り組みを続けている。

 同教室には松戸や木更津など県内各地から参加者が集まり、総勢40人。年齢層も40~80代と幅広い。上田さんによると「昔、親が作っていた人のほかに、子どもに体にいいものを食べさせたい親や、食物アレルギーの子を持つ親が参加している」と話す。

 最近では、かんぴょうなどといった定番食材のほかに、チーズやかまぼこ、カレー粉なども使用。県のマスコット「チー ・・・

【残り 8459文字】



  • Xでポストする
  • LINEで送る