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これがプラモだって?「戦艦大和」のデザイン美、人と繋がる“プラモの魅力”を若者に継承したい

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【上】世界の航空機/制作:松本州平【下】旧日本海軍戦艦「大和」/制作:海志

 1958年に誕生した国産プラモデルの歴史は60年を超え、今なお多くの模型ファンの心を掴み続けている。今回、6歳から模型制作を始め、以後50年以上にわたってスケールモデルを作り続けるレジェンドモデラー・松本州平氏と、美しい「戦艦大和」に魅せられた海志氏を取材。スケールモデル史の変遷と、継承すべき“モデラー魂”について聞いた。

【写真】 実物よりリアル? “姉妹艦”戦艦「大和」「武蔵」の雄姿!空の王者・ゼロ戦ほか名作プラモ

■平成初期、「スケールモデルは壊滅状態」だった(松本州平)

 56年に及ぶモデラー人生で、昭和から平成、そして令和と各時代の模型シーンを見てきた松本氏に、各時代の傾向を聞いた。

 「大きな節目は平成初期(バブル全盛期)でしょうか」と、狂乱の時代を振り返る松本氏。そして、「この時代のスケールモデルはほぼ壊滅状態にありました」と、今からは想像もつかない“プラモデル低迷期”があったと語る。新製品は少量しかリリースされず、当時の風潮も手伝いプラモ趣味は“根暗”とレッテルを貼られ、若いモデラーの後継者も育たずにいたという。

 80年代後半は、アニメカルチャーにおいても冬の時代。いわゆる「オタク文化」が停滞した時代であったが、松本氏は「当時は景気がすこぶる良く、人々が忙しすぎて内向きの趣味であるプラモデルに心が向かなかったのではないでしょうか」と分析。また、コンピューターゲームの登場で子ども達の遊びの選択肢が増えたのも大きな要因だという。

 そんな“オタクカルチャー低迷期”に光が差し始めたのが平成中期。「その頃から徐々に盛り返して、昔では考えられない様なバリエーションの機種がリリースされ始めました」と松本氏。それは、「子どもの頃に模型を楽しんだ人が、お金を使える年齢になって模型趣味に戻ってきたこと。そして何より、不景気になって家にいる時間が増えたから」だと苦笑する。

 そして令和の時代。スケールモデル界の今後について松本氏に聞いた。

 「情景表現、外連味溢れたディテールアップ、実機を可能な限り再現する、架空の機体を作る。また、キットを仮組みして形状を確認して楽しむ、組み立てはそこそこに塗装を楽しんだり…。つまり、『このキットはこう作らねば…』という足枷は無く、人それぞれが“自分なりの自由な楽しみ方”をする趣味であって欲しいです。何より、プラモデルは“人と繋がる為のツールである”という事を若者に伝えて行く事が、大人のモデラーに課せられた役割となるでしょう」

■巨大建造物の戦艦大和は美しさ”においても抜きんでている(海志)

 第二次大戦の各国艦艇を日々制作する海志氏に、もっとも影響を与えたキットはタミヤの1/350旧日本海軍戦艦大和(新金型)だという。大和といえば、旧日本海軍における“浪漫”の代表格とも言える存在。歴史的背景からも思い入れは必然的に強くなると海志氏は語る。

 「元々は旧日本海軍の精神を具現化した存在でありながら、その能力を発揮する機会を与えられぬまま時代に取り残された儚さがあります。とはいえ、当時、世界最大・最強とも言われる戦艦であったことなど、バックボーンに“浪漫”が詰まり過ぎていますよね。多くのモデラーが大和にこだわる理由がよく分かります」

 では、大和を制作してカタルシスを感じるのはどの瞬間なのか聞くと、「精密に再現できた時の美しさです!」と即答。アメリカ軍の兵器はM4中戦車(通称:シャーマン)やヘルキャットなど、実用性重視のデザインが特長なのだが、戦艦大和は「巨大建造物でありながら“美しさ”においても抜きんでている」と発言にも力がこもる。「身びいきだろうとは思いますが(苦笑)、その美麗なデザインをどうキットで再現するかが、大和の醍醐味だと思います」。

 艦船の美しさの再現の他に、氏にはもう1つこだわりがある。それは、資料が現存しない箇所を“空想で補うこと”だと強調する。大和は当時の資料や写真がほとんど残っておらず、想像で補完すべき点が多い。まさにモデラー冥利に尽きるキットなのだ。ただし、それは自由に作るという意味とは異なるようだ。「考証から逸脱するような改修だと大和が持つ本来のデザイン性を崩してしまいます。なので、ウェザリングなども適度に抑えつつ、より“らしく”見えるように気を配っています」。今後も大和を作り続けたい!海志氏は前を見据え、そう締めくくった。