「禁廷木」の公園

  • LINEで送る

 稲毛区小仲台の住民で、町会のために骨身を惜しまない奥井貞男氏は、私ら友人のためにも骨身を惜しまない。例えば千葉市が管理する「ゆかりの家」へ、弁当付きで案内してくれることもある。

 稲毛の浅間(せんげん)神社に寄り添い、ひっそりと佇(たたず)んで「ゆかりの家」はある。

 ところで「ゆかりの家」のゆかり(縁故)には、どんな内情がひめられているのだろうか。

 昭和12(1937)年4月、愛新覚羅溥傑(あいしんかくらふけつ)と嵯峨浩(さがひろ)は結婚し、現・千葉市稲毛区の「ゆかりの家」に仮寓する。

 溥傑は中国・醇親王の第2子で、日・中の皇族間婚姻を進める関東軍の政略により、日本国の公家・嵯峨家の浩姫と結婚した次第だが、かたちは政略結婚であっても、溥傑と浩は日・中の架け橋になることを誓い合い、愛を深める。

 さらには、清朝(しんちょう)第12代の皇帝で、ラストエンペラーと称される溥儀(ふぎ)は、溥傑が運命を共にした兄であり、したがって「ゆかりの家」は溥儀ともゆかり(縁)がつながることになる。

 また溥傑と浩の娘二人、慧生(えいせい)と妹の●生(こせい)にも、その縁は伸びていく。

 慧生さんはやがて「天城山心中」で日本中に悲報をもたらすが、●生さんはお元気で、折に触れ「ゆかりの家」を訪れている。

 「ゆかりの家」の裏庭には「禁廷木」(宮中の木)と呼ばれる「白雲木」があり、春から初夏にかけ、総状の可憐な白花をつける。......

 ※●は女ヘンに雨、その下に誇