友情の霊水を飲む

 「明治三十二年九月、市原は大暴風雨に襲われ、荻作の農家が、中洞ケ谷(なかぼらがやつ)からその先の池田谷(いけだやつ)の田廻りに行くと、池田谷に崖崩れがあり、そこに洞穴が口を開け、人骨が散乱していた。

 知らせを受けた当時の近藤幸吉区長は、この骨は、おそらく源平時代の平家の落人(おちゅうど)のものだろうと推量する」

             (荻作郷土誌より)

 実はこの種の伝説には前例もあり、それが瀬又(せまた)の「骨神様」で、やはり洞穴から出土した落人の骨が神格化されていた。

 近藤区長は、池田谷の骨も「骨神様」として祀(まつ)り、神格化しようとしたが、やはり二番煎じは二番煎じだった。

 それでも「骨神様」の霊水は滴(したた)り、骨の病気に効験があるとされたが、それも瀬又ほどポピュラーなものにはならず、いつしか所在さえあやふやになっていった。

 いまから10年ほど以前、友人であり、親類でもある積田芳男さんの手を借りて、私は荻作の「骨神様」を探検したことがあった。

 積田さんは人の手助けとなると、とことん世話焼きに徹する人柄だった。さっそく同様の好人物・高橋賢さんを誘い込み、探検隊トリオは起動した。お二人は地元の物知りで、強力な助っ人になってくれた。

 探検は骨の出た洞穴(ほらあな)と、水の滴る崖の探索だったが、詳細を伝える古文書類もなく、いわば両助っ人の勘働きが頼りだった。

 やや大ざっぱな探索ながら、洞穴も、滴る霊水も発見でき、おまけに「市津民話集」も入手できた。

 私は探索した資料と、入手した民話資料を抱き合わせにし、担当中の市原ケーブルテレビ用にドラマ化しようと考えたが、それから10年、当人の怠け癖で延び延びになってしまった。......


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