如水と次郎長の碑

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鶴舞小学校の前方に、鶴舞藩六万石の藩主・井上正直公の胸像が見られる。

 年号が慶応から明治に変わるころ、浜松藩の鶴舞藩転封により、井上公は、名家老・伏谷如水(ふせや・じょすい)ら家臣とともに鶴舞入りした。

 鶴舞は、そのころ「桐木原」と呼ばれていたが、井上公が高台に立ち、下方に広がる田畑・森林・原野を俯瞰(ふかん)し、鶴が両翼を広げて舞っているようだ、と言ったところから、新たに「鶴舞」と名付けられたという。

 こうした「鶴舞」の成り立ちについて私はほとんど無知だ。一考して、このドラマ制作からおりるべきだと思った。しかも当地には「鶴舞藩を知る会」という郷土史家グループがあり、そうした皆さんの迷惑にもなりかねない。

 ところが、私の中学時代の恩師・古関しづ先生からエールを送られた。

 「テレビ民話は視聴してもらえなければ史実も伝わらない。史実を押し付けるだけでは視聴してもらえず、史実も伝わらない。登志生さんの感性のままにやってみなさい」

 そんなわけで、また勇気を出して自分なりのTV脚本を書くことにしたが、あれやこれやの知識を、古関先生から仕入れさせてもらうことにした。.....