甘えの構造・壮年期

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 中学教師になりそこねた私は、そのまま上京し、出版社の編集部員募集に応募した。

 簡単な筆記試験と口頭試問後、適当な小遣いを持たされて外へ出された。目に入ったもの、耳に聞き込んだ事等、規定の原稿用紙に書いて提出するというテストだった。

 街頭や駅前、公園等をぶらつき、世相や風俗、また気になる事象にぶつかればそれも取材し、つかんだネタをほどよく組み合わせて構成してみた。

 結果は合格で、同期の数名とともに週刊誌の編集部に配属される。そのころブームになりかけていたおとなの漫画週刊誌だった。

 おとなの漫画週刊誌は、一応はおいろけ漫画が主体となるが、その筋の読者には、トップ記事に仕込まれた欲情物も気になる。そして私は、社長の買いかぶりもあり、トップ記事の担当者になった。

 社長の中村正利氏は『笑いの泉』や『今日の話題』など、硬軟両派のヒット本を出した能力者だったが、入社早々から私のことを甘やかしてくれた。

 3、4年もすると私は編集次長に抜擢され、昭和39年の「東京オリンピック」は、29歳の編集長として迎えた。二、三流の週刊誌であっても早い出世の方だったらしい。

 漫画週刊誌の常でつい記事等が軟派になり、倫理規定にひっかかったりするので、そのイメージを払拭するべく、各界の著名人を誌上対談に招いた。例えば女優の杉村春子さん、画家の岡本太郎さん、その固有の話しぶり(ゼスチュア)や抑揚(イントネーション)に、聞き役の私は、しばしば呼吸を忘れるほどの興奮を覚えた。杉村さんは沈潜した一定のトーンでトークの深意を伝える。

 岡本太郎さんの「芸術は爆発だ!」は、目前で見聞すると、豪快さとはまた別の照れみたいなもの、さらにペーソスみたいなものまで感得する。......