天才化学者の墓所

  • LINEで送る

 中村宗之氏との縁は、母御、奥方ぐるみで長い。市原市立市東中学校に講演に行き、役員だった宗之氏のおせわになって以来の親交である。

 時の流れでやや間遠(まどう)になった時期もあったが、千葉市役所勤務の宗之氏が、定年数年前「泉自然公園」の所長をやり、親交が復活した。

 定年後は、四季のおもむくままに、市原市高田宅の方に招かれ、春菜を摘み、自然池に来るカワセミの色彩に驚き、栗拾いを楽しみ、山百合の清楚な花など愛(め)でて歩く。

 長屋門をもつ中村家は、屋敷を囲む広大な山野を領し、第二の「泉自然公園」だね、と私はいう。

 領地の一角に個有の墓所があり、中心となる墓石の墓碑銘に誘われる。

 私は宗之氏に無理強いして、中村郁哉理学士の経歴を寸見(すんけん)させてもらう。

 ▼東京帝国大学農科大学講師理学士中村郁哉▼明治20年12月12日市原郡に生まれる▼明治34年3月市原郡市東村立三成尋常高等小学校高等科3学年卒業▼明治39年3月千葉県立千葉中学校卒業▼明治42年7月第四高等学校(仙台)二部席次理科第一席卒業▼明治45年7月東京帝国大学理科大学化学科席次第一席卒業し理学士号を受ける▼大正3年7月東京帝国大学講師として、有機及び物理化学科で講義をする傍ら、鈴木梅太郎博士の研究室に参加、防腐剤の研究を進める。

 その後、鈴木博士が技師長を務める三共製薬株式会社の嘱託となった中村理学士は、清酒防腐剤「サリチル酸」を完成させ、日本酒醸造協会長管原通敬氏より感謝状と銀盃を受ける。