2011年6月9日 10:29 | 無料公開
平成21年5月25日、私は「酒井とゆかいな仲間たち・仙台ツアー」に招待された。ツアーに私の姓がついたのは、病み上がりの私への元気付けだったようだ。
目的地の松島へ着くと、地元の新一さんが迎えに出てくれていた。こちらの参加者ご夫婦の甥御さんに当たり、通称「新ちゃん」だと言われたが、初対面の私は新一さんと呼ぶ。
お顔もおからだもふっくらとしていて、柔和な笑顔が心地よかった。
新一さんは、松島湾や瑞巌寺など、日本三景・松島の名所をあまねく案内してくれた。その新一さんが今年(23年)3月11日、東日本大震災に見舞われた。
2年前にお世話になったツアーグループは、気持ちだけでもお見舞いがしたいと、こちらの叔父様夫婦を通じて申し出たが、ご当人からの応答は、いまは金品より何より「たばこが欲しい」ということだった。
新一さんはニコチン中毒ではない。それなのに金品よりも、いまはまず「たばこ」を希求される。こちらの拝察では、新一さんのそれは日常生活への懐慕(かいぼ)ではなかっただろうか。
叔父様夫婦は、甥御の要望にこたえるべく品数をそろえ、配送がままならい中にも送呈したという。震災後の現地では、たばこ店も無くなっていたようで、叔父様夫婦の好意が届いたときの、新一さんの喜色が見えるようだった。
被災者の求めるものと、一般支援者の提供するものと、時期や状況で差異が出てくる。震災直後の新一さんは、生活用品でなく嗜好品を求めたようだ。
支援者の提供物は、一般的流れに乗るものと、少数派の独自なものとあるが、独自な贈り物には、被害者を置き去りにした、自己本位のものも多いようだ。...
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