釈蔵院の筆子たち

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 市原市能満582番地1に所在する法然山伝灯寺釈蔵院は、弘法大師創建・醍醐天皇勅願寺と称される真言宗の古刹である。(以下略)

 千葉大学文学部佐藤ゼミ教授・佐藤博信

 もとより学究の徒でない私らは、千葉大学とも、佐藤ゼミとも無関係ながら、べつの用事、というよりご住持にお願いの筋があって参上した。

 仲介は従弟の山本幹雄氏に依頼した。幹雄氏は、私の母の妹である信子叔母さんの長男で、釈蔵院の世話人をしていた。

 目的は、当山の文聖(ぶんせい)ご住持へのおとりなしと、ドラマ撮影のご許可を得ることだった。

 私はケーブルテレビ「あいチャンネル9」で、15年間、月単位で郷土(市原)民話をドラマ化していて、今回の出し物は「おんな寺子屋師匠」だった。

 寺子屋は室町時代(1336~1573)に始まったと言われる。寺の房(ぼう)などを教室にした私塾で、僧呂が指導に当たり、塾生は「寺子」と呼ばれるのが普通だった。

 やがて時代が流れ、師匠は僧呂に限らず、口過ぎのために、識者や浪人者が参入するようになった。

 市原の場合は、幕府が倒れ、失職した幕臣らが、帰郷もままならないまま、居座って寺子屋を開業するケースが多かったという。

 寺子屋の授業は読み書きそろばんが一般だが、浪人師匠は、そろばんは人品をおとすと言ってきらい、読み書きをもっぱらとし、特に筆力に主眼を置いた。

 それ故に市原寺子屋の場合は、塾生を「寺子」と呼ばずに「筆子」と呼ぶ。...