「おい、元気か」

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 首都高速道路公団を役付きで終え、身軽になった市坪利彦さんはエッセーを書き始め、私の文章塾で班長さんをやってくれている。

 その6年間の作品中、クラス全員が推す『おい、元気か』を紹介したい。トラジック(悲愴)を淡々と描出する名文を、所々割愛する不躾(ぶしつけ)を詫(わ)びつつ。

 -東京オリンピック前の昭和38年、首都高速道路公団に工業高校卒が30名ほど入社して、2週間の研修後、各人各所の職場に配属された。

 渋谷にある本社には4人が配属となり、その中の一人が「川畑」だった。山口県出身で、細長の浅黒い顔に濃い顎鬚(あごひげ)を置き、長髪をかき上げながら話す青年だった。

 配属されて1週ほど過ぎた昼休み、川畑が「おい、元気か」と言って、私のデスクにやって来た。

 「市坪、『ニーチェ』は好きか」

 「哲学者の『ニーチェ』のことか」

 「そうだ。『ニーチェ』はいいよ」

 工業高校卒の土木屋というより、彼は文学青年といった方が似合うと思った。

 市坪さんの感想は現実となり、1年後に川畑さんは公団に辞表を出し、日本大学文学部に入学した。

 -それから音信不通が続き、5年ほど経った4月、職場の電話が鳴った。

 「おい、元気か」

 「行方不明だったけど、生きていたのか」

 私は皮肉を言った。

 「頼みがあるんだ、明日の昼12時に会ってくれ」

 相変わらず言いたいことを言って電話が切れた。

 川畑さんの頼みは、市坪さんに、結婚の司会をしてくれということ。

 新婦は小柄で、丸顔の愛らしい女性だった。「青学会館」での挙式後、幸福な新婚夫婦は、やがて一姫二太郎にも恵まれる。

 -昭和62年秋、夜の10時、電話が鳴った。・・・