『人生歌つづり』

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 玉野千惠子さんの本が出る。八十歳の処女作『人生歌つづり』のタイトルで、新年(平成二十一年)早々千葉日報社から出版される。

 玉野さんのエッセーの本が出ることは、周囲のだれもが望み、期待していた。

 私も、書き溜めたものを再読させてもらって、出版を勧めた。

 玉野さんの文章は止まらない、滞らない、成り行きで対象を圧倒する筆勢もあるが、配慮もある。フォローのある猪突である。

 歌を友に歩み続ける玉野さんの『人生歌つづり』は、第一章『私の人生歌つづり』から第五章『老いのど真ん中を往く』まで、区分けがピタッとはまっていて味読できる。

 第一章=小学四年時の「牧場の朝」では、憧れの潟田先生に選ばれた私(千惠子)が、放送局での合唱「牧場の朝」でソロを歌うことになったのに、警察官である父の転勤により断念、声が嗄(しわが)れ

るまで泣く。

 昭和十五年、高等女学校のころ、時局の歌「婦人従軍歌」等の陰で歌った「湖畔の宿」は、淡い初恋の歌であり、ひそかな乙女の反戦歌でもあった。

 昭和十九年、十六歳三ケ月の乙女は、地元小の代用教員をスタートに、四十一年間の教師生活に入る。

 新米教師の泣き笑いから、生徒との心のつながりを得て、たのもしく成長していく千惠子先生の姿は、臆病になっている現代女性教師の範となるだろう。

 千惠子先生の四十一年間にわたる教育人生は、現代のパソコン教育が失ったもの、置き忘れたものの原点にもなるが、時には乙女チックなエピソードも語られる。例えば「わが初恋の記」など。

 二十歳の千惠子先生は、山の湯宿で初恋のT先生を待つ。すると隣室から、酔っ払いたちがだみ声で歌う「ズンドコ節」が聞こえてきて、卑猥な歌詞が脳天に突き刺さる。

 千惠子先生はたまらず宿を飛び出し、初恋物語は幕。

 教職を終えると、すぐに地域の婦人会長に担がれ、さらには世界女性会議NGOの一員として、各国の女性に伍して活動する。

 中国婦人会との交流会では、ほろ酔いで「百万本のバラ」を歌った。受けた。痛いほどの幸せ感を味わった。そして「シャンソン狂い」が始まる。

 玉野さんにはどんどん前進する足音とは別に、シャンソンの「パダン・パダン」が聞こえる足音もある。

 第二章の『愛しき人よ』の中の「母子草」を読む。

 外遊びに夢中になっては、よくおもらしをする次男のために、夫が庭の片隅に石囲いを作ってやると、次男は「泰のトイレだ」と言って、小さなおちんちんを出して放水した。