妻は夫を逆転する

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 二流以下の女が、一流の男の妻になることを「玉の輿(こし)に乗る」と通称した。羨望(せんぼう)含みの卑称でもあったが、ちなみに「輿」とは貴人の乗り物の称で、さらに、「御神輿」となると神様をお乗せする。

 当世は貧富の差が目立たなくなったが、私の若い時分は身近にも「玉の輿組」が何組かあった。

 興味をもって成り行きを眺めていると、時の流れの中で、共通して「玉の輿夫婦」の地位逆転が見られたものだった。

 当初の「玉の輿妻」は、与えられた恩恵に謝し、旦那様によく仕えているが、子どもが生まれ、成人して家を出て行き、再び夫婦二人暮らしになるころ、スムーズに地位逆転のドラマが進行する。亭主関白の「玉の輿」に代わり、カカア天下の「御神輿」に乗り継いだ妻は、やがて「山の神」に上り詰める。

 ご主人への呼び掛けも、「恐れ入ります旦那様」から「ちょっとあんた」に変わる。女には、そうした自己本位の底辺エネルギーがあるようだ。

 自己本位というか、中心意欲というか、こうした自我エネルギーは、遠く万葉歌にもつながるらしい。

 湯原王が某処女と贈

 答せられた歌うはへなきものかも人は然ばかり遠き家路を帰す思えば

 (巻四・六三一)

 〔歌意〕愛想ないもんだねえ、おまえさんという人は。こんなに遠い所を逢いに来て、何もしないまま、また遠い道を戻って行くなんて、考えてみるとさ。

 処女の答えた歌

 如何ばかり思ひけめかもしきたへの枕かたさる夢に見え来し

 (巻四・六三三)

 〔歌意〕自分でも気付かないまま、これほど深くあなた様を思い込んでいたのですね。その夜の夢枕に、恋しいあなた様がお見え下さいましたもの。

 湯原王は、志貴皇子(天智天皇の第7皇子)の子と伝えられ、村娘とは身分違いだが、関係ができると、村娘の自己本位のエネルギーに火がつく。...