高齢者の友になる

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 若い、というほどでもない若いころ、私は市原の生家に居て、身内や近所の高齢者と親しむ。

 高齢者は、日々年を取っていた。腰が少しずつ曲がり、きのうは「こっちが痛い、あっちが痛い」とぼやき、きょうは「あっちが痛い、こっちが痛い」とこぼし、私はそうしたぐちに付き合い、手を貸す。

 それほど重くもない荷物を持ってやったり、手に余る荷物は他の力持ちに持たせたり、歩行困難者には肩を貸し、肩に余る体重の場合は、他の頑丈な肩を推挙する。

 私は、高齢者孝行することで、自分の善意に自己満足し、どこかで自分の若さを誇っていた。この傲慢(ごうまん)さから、いま老いたこの身にしっぺ返しを受ける。

 抱えた複数の病気のせいもあるが、いまの私は全身が痛い。首から背中、腰から足にかけて、どこもかしこも痛い。

 特に腰痛は、ぎっくり腰になる因果もないのに、ギク、ギクっと、激痛が休みなく襲ってくる。2階から1階のトイレへの往還も、乾燥しかけた蛙のように葡匐(ほふく)進行。特に下りはへばりつくようにしてバック進行。疲れる。

 若い、と強調するほどでもない若いころ、私は「高齢者の友」だったと前述したが、すっかり高齢者になった自分にもその「友」ができた。男女別に複数できたが、ここでは女の「友」の指圧につき紹介する。

 色褪(あ)せてもふんわりとした芝生が、初冬の陽(ひ)差しを受けてぬくもっている。その褥(しとね)に腹這(ば)うと、さっそく練達した「友」の指圧がスタ-ト。首から肩へ、肩から背中へ、そしてポイントの腰痛へと…。