里の門松が消えた

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 前半生を、雑誌編集者やテレビライターとして過ごした関係から、一時は年賀状が千通を超えていたが、後半生ではほぼ7百通前後にとどまり、なお「賀状遠慮」の一筆が書き添えられていたりして、寂しいが、それなりのマナーとして受容できる。

 7百通の9割方はパソコン文字で、手書き文字は1割そこそこ。わずかな慰めは、パソコン文字の中に折衷された自筆文字を発見したときか。

 昔は、正月を実家で迎えるのが何よりの楽しみだった。家出中で、不良をしているときでも、正月となればさっさと帰った。

 朝は6時に起き出し、餅を焼く兄のそばでかつお節をかいた。

 兄は焼けた餅を湯がいてから、煮え立つさといも汁の中に移す。

 いったん沈んだ餅が浮き上がると、大なべのつるを握った兄の手で、雑煮汁はこたつ台の電気コンロに移され、添えられて重箱もおかれる。

 重箱には、私が担当したかつお節と、手もみしたハバ・ノリのかきまぜが入っていた。

 兄が神棚に灯明をあげると、私は土間(どま)に降りて、荒神様のロウソクに火を点(とも)す。

 兄を中心に年頭のあいさつを交わすと、雑煮を祝う段取りとなる。食べ慣れた切り餅だから食べやすく、兄に負けまいとがんばっても五つまでで、七つ八つの兄には及ばない。

 門松の給仕役も末弟の役目だった。私は1升枡(いっしょうます)に炊き立てのご飯をおさめ、ハバ・ノリとかつお節のミックスを振りかけてから、箸(はし)を使い、松の枝葉を目がけて慎重に盛り付ける。

 ちょっとはずれた末っ子をそれなりに愛してくれた父母が逝(い)き、なぜか弟と敬語で会話してくれた兄も急死し、私は感覚的に生家を失った。........