母性を超えた優しさ 野村俊詩集「うどん送別会」

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 詩集「うどん送別会」は詩人野村俊氏の3冊目の詩集である。それにしても風変わりなタイトルだ。だがタイトルになった作品「うどん送別会」を読めばごく自然な発想だと気付く。そこにはうどんだからこそ感じられる温かさと優しさがあふれている。この優しさこそが野村氏の本質であり、この詩集全体のテーマでもある。

 作品は一見小説のようだが、醸し出される温かさと文章の流れは詩そのものだ。400字詰め原稿用紙20数枚に及ぶ作品「遠くへ行きたい」も、過ぎ去った青年期を懐かしむ散文詩であり、作品「ゆめちゃん」は作者自ら交響詩と名付けたところの、やはり散文詩だ。

 この詩集にはこれら3編の散文詩をはじめ70数編に及ぶ詩が収録されているが、そのすべての作品の底流にあるものは人間がその生の中で突き当たる悲しみや寂しさ、また孤独感を癒やそうとする優しさである。

 その優しさを氏は母性と同質のものに感じている。とはいえ母の慈愛を人の優しさの原点とは思っていないようだ。母親も寂しさを抱く一人の人間として見つめ、子を慈しむ母性とははっきり区別し、そこには肉親の情を超えたところの、人間が本来持っているであろう優しさを見つめている。「孤舟」の一文を引用しよう。

 母が母らしくない時に

 母に母を求める

 そのわけのわからない寂しさが

 ぼくの心を荒涼とさせる

 (中略)

 母の母らしさを感じた時に

 母は僕の歌になる

 この一文を見ても氏の優しさは単なる母性への回帰ではないことがわかる。

 詩人野村俊氏は人の痛みを察することのできる温かみのある人間だ。その温かみは氏の生い立ちによるものだろうか。氏は確かに戦後の貧しい時代に育ち、いたずら好きな少年時代を過ごしたようだが、それらは決して特別な生い立ちとはいえない。氏の温かさはいわば天性のものなのである。

 氏は長く教職にあったことから小中学生を題材にした作品が多いが、寂しさや孤独に泣く子供たちに手を差し伸べ、自分ではどうしてやることもできない歯がゆさを行間ににじませる。そして何とか笑顔を取り戻してやろうとする。それは決して作為的なものではなく心理学者のような型にはまった言動でもない。常に手探りで子供たちに接し、手に余るときは温かくその胸に抱きかかえてやろうとするのだ。それは確かに、泣きじゃくるわが子を抱く母性にも似ている。

 そもそも人に対する優しさとは何だろうか。同情することなのか。身銭を切って与えることか。そのいずれでもない。詩集の中にはその答えが、それはちょうど草深い山里で咲いたカタクリの花が人の心を和ませるように随所に見え隠れし、読者の心を限りなく穏やかにしてくれる。

 ところで氏は、作品の中で人生を「旅」と表現しているが、その旅は人の心の優しさを探す行為のように私には思え、人間の性善説を説いて回る求道者の旅のようにさえ思える。(高安義郎)(コールサック社、2000円)